ZS 私の本当の名前

ベトナム出身の僧 ティク・ナット・ハン)に
こういう詩がある。

「私を本当の名前で呼んでください」

私が明日発つと言わないで
なぜって いま もうすでにここに着いているから

深く見つめてごらんなさい 私はいつもここにいる
春の小枝の芽になって
新しい巣でさえずりはじめた
まだ翼の生えそろわない小鳥
花のなかをうごめく青虫
そして石のなかに隠れた宝石となって

私はいまでもここにいる
笑ったり泣いたり
恐れたり喜んだりするために
私の心臓の鼓動は
生きてあるすべてのものの
生と死を刻んでいる

私は川面で変身するかげろう
そして春になると
かげろうを食べにくる小鳥

私は透きとおった池で嬉しそうに泳ぐ蛙
そしてしずかに忍び寄り 蛙をひと飲みする草蛇

私はウガンダの骨と皮になった子ども
私の脚は細い竹のよう
そして私は武器商人 ウガンダに死の武器を売りに行く

私は一二歳の少女
小さな舟の難民で
海賊に襲われて
海に身を投げた少女

そして私は海賊で
まだよく見ることも愛することも知らぬ者

私はこの両腕に大いなる力を持つ権力者
そして私は彼の「血の負債」を払うべく
強制収容所でしずかに死んでいく者

私の喜びは春のよう
とても温かくて
生きとし生けるもののいのちを花ひらかせる

私の苦しみは涙の川のよう
溢れるように湧いては流れ
四つの海を満たしている

私を本当の名前で呼んでください
すべての叫びとすべての笑い声が
同時にこの耳にとどくように
喜びと悲しみが
ひとつのすがたでこの瞳に映るように

私を本当の名前で呼んでください

私が目覚め
こころの扉のその奥の
慈悲の扉がひらかれるように」

《「微笑みを生きる」<気づき>の瞑想と実践  ティク・ナット・ハン ※》 

この詩を読んで「私の本当の名前」とは何か?という思いに駆られ、戯作してみた。

 「私の本当の名前」

 私の名前は 藤枝宏壽
 でもそれは 娑婆での
 「仮名人」の 仮り名
 私の呼び名は
 「苦悩の群萌」
  略して
 「凡夫」
 私の実名は
 「真如違背の虚妄分別者」
 私の罪名は
 「地獄一定無有出離」
 私の偽名は
 「真宗念仏者」
 私の綽名は
 「仏より逃ぐる者」
 親の諭しは
 「唯除五逆 誹謗正法」
 親の真心は
 「汝一心正念直来 我能護汝」
 そして浄土に往生させていただいときは
「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」(末讃)
(他に※)
だから
 「無上覚」つまり「阿弥陀仏同体のさとり」(※)
 を得させていただく・・・
 となれば
 「私の本当の名前は『南無阿弥陀仏』」
 ではないかと思う。
  (親の〝襲名〟とも言える)
  穢土の仮名人としての私は
  「浄土に来て南無阿弥陀仏になれよ」
 と呼ばれ
  浄土の仮名人となれば
 「我も六字のうちにこそ住め」
 である。

  同じ心の先輩の声が聞こえるようだ。
☆蓮如上人(伝)
 恋しくは南無阿弥陀仏をとなふべし
われも六字のうちにこそすめ
☆浅原才市
①をやのこころとわたしのこころ
こころひとつのなむあみだぶつ (八-58)
②ひとわころころうきよを太つ二
 わ太しやあと二のこされて
 うきよのえんのつきし太い
 わしもでてゆくご正を二むいて
 しゅ上さいどをさせてくださる
 ごをんうれしやなむあみだぶつ(十一-63)
③なむあみだぶわおやのなで
 をやのなこそなむあみだぶつ
 わたしもやがてあな太のをな二
 してもらうよなむあみ太ぶ二 (二十二-36)
④わ太しや二よらいがすき太よ
 わしをさいち二やるゆうて
 なむあみ太ぶつなむあみ太ぶつ(二十四-42)
            (『浅原才市 詩集』)
☆鈴木昌子
「私は真弥(まや)の南無阿弥陀仏になります・・・  
  門信徒の方 有縁の方々の 南無阿弥陀仏になります」
                       (『癌告知のあとで』)
☆木村無相
 「わたしの未來は 
  ナムアミダブツ 
  ただ念仏の身となって
  此の世であなたに 
  遇うのです」
             (『念仏詩抄』)

        八王子山 釈浄厳 八十三歳

注※(「弥陀同体のさとりを得る文証)
 「必至滅度」
 「(不断煩悩)得涅槃」
 「即証真如法性身」
 「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」
 「至安養界証妙果」
 「無明の闇を破し、速かに無量光明土に到りて、大般涅槃を証す、普賢の徳に遵うなり」
                 (行巻)
「大願清浄の報土には品位階次をいわず。一念須臾の頃に速かに疾く無上正真道を超証
  す。かるがゆゑに横超というなり」(信末巻)
 「弟子とは、釈迦諸仏の弟子なり 金剛心の行人なり。この信行によりて必ず大涅槃を超証すべきがゆゑに真の仏弟子という。」
                                                                          (信末巻)
 「念仏の衆生は 横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕 大般涅槃を超証す。」   (信末巻)
 「かるがゆえに知んぬ、安楽仏国に到ればすなわち必ず仏性を顕す。本願力の回向に由るがゆえに。」(真仏土巻)
 「またこの経をもつて証す。すなはちこれ諸仏同体の大悲、念力加備して見しめたまふ。  これまたこれ凡夫の見仏三昧増上縁なり。 (観念法門)
 「第四の証というのは験現という意味で、如来回向の行信の因が、果としてあらわれることをいう。この証果は弥陀同体のさとりであり、涅槃とも滅度ともいう。またこの証果の   悲用として、衆生救済の還相が展開するという。このような証の現れる境界が第五の真仏真土であって、光明無量・寿命無量の大涅槃の境界である。それは同時に往還二 回向のおこる本源でもある。」   (本願寺派総合研究所「聖典解説」)
・・・cf.「弥陀同体のさとり」ネットで213件

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※ ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh 釈一行、1926年10月11日 - )は、ベトナム出身の禅僧・平和・人権運動家・学者・詩人[1]。

ダライ・ラマ14世と並んで、20世紀から平和活動に従事する代表的な仏教者であり、行動する仏教または社会参画仏教(Engaged Buddhism)の命名者でもある。アメリカとフランスを中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっている。
<略歴>
1926年、ベトナム中部のフエに生まれる。1942年に同地の慈孝寺にて出家し禅僧となる。
 1950年に禅の道場を創設。ベトナムで初めて、僧の授業に外国語や西洋の科学、哲学の学習を導入する[2]。
 ベトナム戦争中は、僧院の中で修行を続けるべきか、あるいは僧院を出て爆撃に苦しむ人のために行動すべきか考えた末、戦禍をくぐりながらその両方を行うことを決意し、いわゆる「行動する仏教」の指導者として、被災者や難民の救済を行う。1964年以降、病院や社会福祉青年学校、ヴァン・ハン仏教大学、ティェプ・ヒエン教団などを設立し[2]、孤児たちの社会的支援や、死体の回収などを行なった。
 1966年に渡米してベトナム戦争終結の和平提案を行う[1]。詩や著作を通してアメリカ社会に禅を根付かせるのに貢献した。その思想は、キング牧師に深い影響を与えた[要出典]。キング牧師の推薦により、1967年度のノーベル平和賞の候補となる。1973年のパリ平和会議ではベトナム仏教徒主席代表を務めた。この後、ベトナム政府から帰国を拒否される[2]。1982年に南フランスにプラムヴィレッジ・瞑想センター(Plum Village Midnfulness Practice Center)を設立。社会的活動を継続するとともに、その教えにひかれて集まる多くの人々への瞑想指導を始める[1]。彼の精神的指導のもと、プラム・ヴィレッジは小規模な地方の農場から、西洋で最も大きく活動的な仏教僧院へと成長した。
 1995年4月に来日し[3]、約20日間、日本各地でリトリート、瞑想会、講演会を行う[4]。
 2003年、2011年には、アメリカの連邦議会にて瞑想を指導。2006年にはパリのユネスコ本部で、暴力、戦争、地球温暖化の悪循環を解消するための具体的手段を要請する演説を行う。2007年、ハノイにてユネスコ主催の国際ウェーサカ祭に基調講演者として招かれる。2008年10月、インド国会にて開会の辞を述べる。2009年、メルボルンの万国宗教会議で講演。2011年、カリフォルニアのGoogle本社で1日マインドフルネスによるリトリートの指導を行う。2012年、ウェストミンスターの英国議会及びストーモントの北アイルランド議会に招かれ、慈悲と非暴力のメッセージを伝えた。
 2014年11月、フランスにて重篤な脳出血で倒れ昏睡状態に陥るが、翌年初めには少しずつ意識を取り戻す。言語に障害が残るも奇跡的な回復を見せ、2015年4月にはプラムヴィレッジに帰還。現在は、訪問医の指導と弟子たちによる24時間体制のケアの元、リハビリに励んでいる。