ZS 往生論より成仏論

 信楽峻麿先生の論文「現世往生の思想」を拝見いたしました。理路整然と、しかもリダンダンシーをもって丁寧に論述されてあるので、信楽先生の論旨はよく分かりました。
 「親鸞は第十八願成就文の「即得往生」の文に依拠して、信心の利益として現世今生における往生を語ったが、親鸞はまた、浄土教の伝統にしたがって、来世死後における彼土往生も説くわけである」
 「親鸞においては、往生は現世今生において語られ、成仏は来世死後において説かれるものであった」
というのが要旨だといただきました。

 私自身は、親鸞聖人の「往生論」ではなく、「成仏論」の方が大切だと思っています。聖人の教えは「煩悩具足の凡夫が、本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ことである。その「仏に成る」には、三つの相(段階)がある。
 ㈠現生で正定聚を得、
 ㈡臨終の一念に涅槃を超証し、
 ㈢無上涅槃を証すれば大悲満ちて還相回向に出る。
㈠㈡が往相であり、㈢が還相。親鸞聖人はその二種廻向を重んじられ、往還回向あるがゆえに浄土真宗は大乗の至極なりと言われた。この往還二回向が揃ってこそ「成仏」が完成するのだ。この意味で「往生」は「成仏」(得涅槃)に包含される。だから、成仏論として全体をみることが大切だ。
 しかも、その成仏道は、煩悩具足の凡夫に開かれた道であり、自力で成仏できない凡夫のためにこそ、往還が「回向」されている。その回向を信受したとき即、現生で十種の益・正定聚の益が凡夫に具わる。まずは念仏の至徳具足、そこに心光常護。(私は「念仏は浄土からの光」といただいている。)この念仏・光益あっこそ、冥衆護持、転悪成善、諸仏護念、諸仏称讃の徳益を実感でき、心多歓喜―知恩報徳―常行大悲へと展開されていく。しかもその徳益が、自力無効・煩悩具足の凡夫に賜り、不断煩悩のまま得涅槃へと歩ましめられていく仏智不思議に深甚の謝念がたえない。この現生正定聚こそ、往生成仏道第一の実態として重要なのであり、「現世往生」「現生往生」などの名称論争には、小生、余り関心がありません。
 このようなことを愚考しています。大学者諸先生からは一笑に付されてしまうでしょうが、蟹は甲羅に似せて穴を掘るしかありません。
 ともかくも、論文ご紹介に深謝申し上げます。
    平成30年2月17日
                藤枝宏壽

(出典 聞法ノートより)
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