ZS 火だね

 拙寺の報恩講が近づき、境内の掃除をする。夏の末ごろ刈った草が野積みになっている。乾いているようなのでこれを燃やそうと、古い新聞紙をもってきて火をつける。うまく燃え上がったので安心して、他の場所へ行って仕事をし、戻ってみると、上面だけ燃えて、下は燃えていない。まだ湿ったままだ。
 困っていたら、Hさんが来て、どれどれと言いつつ、古竹や,枯れ杉葉をもってきて下に入れ、火をつけると白い煙を出しながら、全部燃えた。
 なるほど、野火も火だねの仕組みが要るのだ。火の元が燃えればこそ、燃えそうにない濡れ草でも燃えるのだ。
 まさに信心の火もそうだ。煩悩に汚れた凡夫の草にすぐ火はつかない。如来の衆生救いたやの熱誠・本願という火だねが、五劫思惟の仕組みを経て完成し、燃え上がってこなければ、娑婆に野積みされた枯草は壊死するだけである。
 表面は信者ぶって、暫く信心の火がついたように見えても、中の根性は煩悩に腐りきっている。火は付いたり消えたり、「若存若亡」だ。続かない。如来本願の火だねが入っていないと燃えきらないのだ。「衆生貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」…腐りきった私のど根性のど真ん中に如来さまから「願往生心」の火だねをいただかねば、念仏相続はできない。信心の火に燃え切ることはできないのだ・・・。南無阿弥陀仏。
 
 報恩講準備のご縁で一つ味わいができたことを喜んでいる次第である。
  (平成二十九年十月末 浄厳八十四歳前)
         
(出典 藤枝宏壽 聞法ノート)
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