ZS 便利から真利へ

 親鸞聖人は「即便往生」の字訓で、「即往生」は真実報土へ、「便往生」は「化土」へと峻別された。「便」には「本物でない」、「仮」という意味がある。だから「便利」とは「仮の利益」に過ぎない。「真の利」(真実之利)は本願念仏による成仏道である、科学技術のもたらした現代文明の便利のみに埋没してはならない、と書いたことがある※。
 しかし、我々は日常生活で、衣食住の「便利」さに多大な恩恵を受けていることは事実である。
例えば電気がなかったら、交通機関も、役所も、台所もみな「死んで」しまう。その電気を使う機器の複雑・精巧な仕組みがなかったらまた電気も無用になる。これらの文明がここ数百年の間に目覚ましく進展してきたお蔭で、今日の便利さがあるのである。
 ところで我々はその便利な機器(例えば自動車)を我が物がおに使ってはいるが、その便利の開発にどれだけ寄与したであろうか。「私の車」というが、私が作りあげた車ではない。単に、「私が使わせてもらっている便利な乗り物」に過ぎないのに、自分の手足のごとく、我が物と思って使いまくり、乗り回している。故障がおきるとメーカーに文句をいうだけ。その車を今のように仕上げるためにどれだけの科学者、技術者が力を注いできたか、思ったこともない。金を出して買ったのだから、その恩恵など考える必要がないと思っているのだろう。
 そこに、「便利」の危険性がある。便利が事故
につながる盲点がある。「便利」の「お蔭様」を
真に認識したなら、暴走はできない。使い捨てもできない。感謝しながら便利を使わせていただき、便利のお陰で楽させてもらっていると思えば、便利を拝むような気持ちになる。(小生、前の愛車が10万キロを走ったとき、ビールをかけて撫でながら、よくぞ今日まで走ってくれたとお礼を言ったことがある。)
 便利に「衆生の恩」を感じるとき、便利は仮の利でありながら、「真の利」に通じていくのではなかろうか。私が人間として生まれた「生まれ甲斐」(成仏道)を達成する行程・方便として、便利が活きてくれるのであろうと信じている。
 
注 ※拙著『阿弥陀経を味わう三十六篇』永田文昌堂、四四頁。
(出典 聞法ノート 平成22年)
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