ZS 体験と教学

「教学理論よりも宗教的体験が先行すべきだ」
と鈴木大拙先生が常にいっておられた、と楠恭師の言。妙好人
は体験(聴聞・獲信)から入っていると。
 その体験とは、宗教的環境の中で呼吸すること、たえず念仏
の声を聞くこと、よく法話を聞くこと、自己を照らす光に触れるこ
と、そして深く自己を見つめ、懺悔し、仏法に帰依し、自ら念仏に
落在することである。
 そういう意味で、幼少期から家庭における宗教教育(宗教的
雰囲気・お仏壇に詣ることなど)は重要な意味をもつ。聖なるもの
に頭を下げるということだけでも、大切な宗教体験である。それの
ない、我欲、金銭、快楽ばかりに明け暮れている家庭では、まと
もな人間は育たない。

 振り返ってみると、私宏壽は多少とも、幼少期からその体験
をさせてもらった。父が戦争で早く亡くなった逆縁である。
 最初から教学理論に走ると、自己をみる眼が育たない。客観的、
理論的宗教観になってしまう。
 要は菩提心(自らが苦悩を解決する悟りを得たいという願い)
の問題であろう。菩提心のない宗教体験は、カルトになろう。
菩提心のない教学理論は観念の遊戯に終わるであろう。

(出典 宏壽 聞法ノート より)
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