ZS 「相応」と「逆対応」
 相応とは「二物が相称うて齟齬することなきを言う。
往生論註に「相応とは譬へば函蓋相称ふが如し」と
云えり。教法が機縁に相応するを機教相応といい、
また時期相応等と言うがごとし」(仏教大辞彙)とある
ように、衆生の助かりたい心と如来の助けたい心とが、
びったり相応したことが「相応」といえよう。
 ・・・前向きの函蓋相称
 然し、如来は「逃ぐる者をおわへとるなり」という。衆生
は如来の方を向いていない。むしろ逃げている。(全く仏
と逆方向)これが地獄一定の相。それを如来は背後から
抱き取られる。逆対応である。助かる縁なき(助かりたい
とも思わぬ)機を、
 ・・・背後から拯済する「逆対応」の相応である。
  本願相応せざるゆへ
   雑縁きたりみだるなり
   信心乱失するをこそ
   正念うすとはのべたまへ(善導讃)
 まさに「機無・円成・回施」(衆生には全く仏因なし・故に
如来の方で一切を仕上げ・其れを衆生に回施したもう」の
逆対応の宗教である。
  
        
(出典 聞法ノートより 240518)
【キーワード】函と蓋 相称 反仏 背後
       正面 機無 円成 回施 
 ※「逆対応」は小山法城先生の法話で聞く。