ZS 死刑廃止運動(大谷派)に思う

〝人間が罪を罰するということは、人間の善悪の
意識(自見)に立っている。如来の本願に立って
いない。だから死刑は廃止にもっていくべきだ〟
という大谷派の意見がある。
 しかし、そこには大きな前提の問題がある。
〝人間は如来の本願(の心)に立てる〟という大
錯覚がある。凡夫がどうして如来の心になれよう
か。犯罪→処罰(処刑)は人間業なのだ。業には
業の力学がある。みな業の自然な報いに
従わねばならぬ。人間界はその業力で動いている
ー迷いの姿ではあるが。それをいま、如来の
本願に立って世を救おうというのは、一見雄々しく、
勇ましいが、それは娑婆を浄土にしようということで、
そう考えること自体、人間の傲慢である。そう言って
いる人自身に如来の智慧があり、慈悲があるのか。
娑婆は苦界、仏は涅槃の境界。その徹照に立って
こそ本願が仰がれる。人間が如来の本願を体得し
ようなどとはもっての外の暴見。
  
(出典 池田勇諦 平成19年7月25日
    福井教区第一組暁天講座「罰と罪」)
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