ZS 願いなき身

のどかなり願いなき身の初詣
                    遊亀

これは女性画家小倉遊亀氏(後記参照)の句である。世俗的「願い」を
離れた人生のなんとのどかなことであろうか。それに比べて受験祈願
などに走り回っている世相(後記 天声人語 参照)はなんと低俗に思
われることか。
 しかし、いろいろの願いに忙殺されているのが大方の人びとの実態で
あろう。それをいちがいに否定することはできない。もちろんそれは結
構なことと肯定するわけではないが、「さもありなん」(そうでもあろう、
それも無理からぬことよね)と受け取る他ない。
 そういう凡夫の実態をふまえたところに弥陀の本願がはたらくのであ
る。「願いなき身」と悟りきってしまった聖域・「高原の陸地」ではなく、
祈願だ、お呪いだと、迷妄の日暮しかできない凡夫の「淤泥」(泥沼)
の中でこそ、これを憐れむ如来の願い・念仏が尊くいただける。「まか
せよ、すくう」と呼びかけられる如来の喚び声に、ああそうであったと気
づかせていただき、いつしか合掌念仏するとき、「のどかな」心にならせ
ていただけるのである。
 最初から「のどか」ではない。波乱万丈の人生の中を仏光によって正
しく導かれたとき到達できるのが「のどか」さであり、「寂静無為楽」
の世界である。
 
(出典 宏壽 聞法ノート 200124
  後記 ネット、天声人語参照)
【キーワード】 
  願い 祈願 初詣 神仏 受験 迷妄
  本願 念仏     

【小倉遊亀のこと】
 小倉遊亀は大津の出身ではあるが、奈良女子高等師範に学び、大
和の風物をこよなく愛していたようである。そんな事もあり、この飛鳥時
代を代表する三像を描き、薬師寺に奉納したのであろう。ふくよかなお
顔の持統帝、威厳に満ちた天武帝に比べると、大津の皇子はいかにも
悲劇の主人公のように、眉間に皺を寄せ悲しげである。この三枚の絵は
平山郁夫の玄奘三蔵の障壁画と共に、薬師寺に末永く伝えられる事で
あろう。

  どういうものか、NHKで小倉遊亀の事を良く取り上げている。私も最近
3回も特別番組を観た。その度に大変立派な方と深い感銘を覚えた。小
倉遊亀はこの7月、105歳で他界した。小倉遊亀は90歳半ばで体調を
崩し、絵筆を捨てた。周囲がどんなに勧めても画室には入ろうとしなかっ
たそうである。遊亀の世話をしていたのは孫の寛子さん。(養女の子)何
とかもう一度絵筆を取らせようと懸命の努力を続ける。其の有様がTVに
映されていたが、寛子さんは本当に偉い人だ。
 毎日居間に座って庭を眺めていた遊亀は「梅は何一つ怠けないで、一
生懸命生きている。私も怠けていてはいけない」といって再び絵筆を取っ
た。齢101歳の事であった。そして身近にある花木や果物を描き始めた。
わけても晩年は好んでマンゴーを描いていたようである。
 テレビで紹介された遊亀の暮らしぶり、なかんずく孫とのやり取りは俗気
がなく、真に天真爛漫、ほほえましいものがある。金さん銀さんと違うのは
、ひとたび絵筆を取ると別人のようになって描く事に集中する事である。
  
 小倉遊亀は奈良女子高等師範を卒業後、教育の世界に身を投じる事に
なった。京都の小学校を皮切りに、名古屋の高等女学校の教諭を経て、横
浜のミッションスクールに奉職した。仏教徒である遊亀は、この学校のミサ
には一度も出席しなかった。然し校長先生に認められ、17年のながきに亘
って勤める事になった。その間、絵には素人の生徒達と一緒に学んだ事が、
後の自分にとって役に立ったといっている。
 その頃遊亀は友人の紹介で安田ゆき彦に会いに行き、弟子入りを志願した。
安田は「絵の道には弟子も師匠も無い。ただ先輩と後輩がある。何でもいえ
る先輩なら、ならせて貰います」と言われ、後輩の末席を汚す事になった。こ
の事が遊亀の生涯を決定づけた。  
 安田ゆき彦は遊亀の才能を高く評価し、細部に亘る技術的なことは教える
ことはなかったが、絵の根幹に関る大切な事をサゼッションしてくれた。そして
いくつかの絵画展への出展を薦めた。遂に33歳のとき院展に初入選を果たす
事ができた。其の後遊亀は数々の賞に恵まれ、1980年、85歳のときに文化
勲章を受章した。
 遊亀は宗教的修行を積んでいた。そして43歳のとき、30歳年上の禅僧鉄樹
と結婚した。鉄樹は程なく没したが、その宗教的体験は絵画においても表れて
いる。遊亀の作品を見ていると俗気がない。人にすがすがしい感じを与えるの
はその故か。
 私は遊亀の作品の中で「径」が好きだ。日傘を指した母親のすぐ後をこれも
日傘を差した女の子が歩いている。そのすぐ後に仔犬が付き添っている。なん
とも微笑ましい雰囲気の出ている絵だ。「姉妹」という絵も素晴らしい。小さな
女の子の姉妹が並んで座っている。その表情がなんとも微笑ましい。若い頃の
人物画、年老いてからの静物画、それぞれにその人柄がにじみ出ていて観る
者の心を和ませてくれる。
 テレビを見ていると小倉遊亀の名言が流れてくる。[老いて輝く。60台までは
修行。70台でデビュー]。なんとも耳の痛い話ではないか。105歳まで描き続
けてきた遊亀であるが、金銭とか名誉とは無縁の世界であった。
 遊亀はこんな事も言っている。「何も持たぬと言う人でも、天地の恵みは頂い
ている」。そうしてこんな句を残している。
       のどかなり
         願いなき身の 初詣
 素晴らしい人生ではなかろうか。女流の日本画家として最高を極めた人、最
長寿を美しく全うした人。
 夫 鉄樹の好んだ西行の 
       願わくば
         花の下にて 春死なん
の句に従うかのよううに、情熱を失わず、凡俗を捨て、自然に活き、この世を去っ
ていった小倉遊亀の生涯であった。
       ( 2000・12 )
bagumama.hp.infoseek.co.jp/th-ogura.htm


【天声人語】220124
 「標札泥棒」という随筆が作家の立原正秋にある。門柱にかけていたのを受
験の季節に盗まれた。しばらくたった朝、新聞を取りに行くと元の所に戻されて
いて、「おかげさまで合格しました」と書いた紙がポストに入っていたそうだ
 ▼昭和40年代の随筆だが、その昔、表(標)札を盗んで合格を願うまじないが
あった。通や透など「とおる」と読む名の表札は要注意だったようだ。いまなら稚
気ではすまされまいが、受験生の切実は昔も今も変わらない
 ▼今年もシーズンが到来して、様々な願掛けがにぎわいを見せる。東京の湯
島天神を訪ねると祈願の絵馬が鈴なりだ。その数は約5万。「今年こそ受かり
ますよう 母」は浪人生の母堂だろう。教え子への御利益
を願う先生の絵馬も多い
 ▼隅田川を渡った回向院には、あの鼠小僧次郎吉の墓がある。どんな屋敷
へもするりと入った伝にあやかろうと参拝が絶えない。石粉を持ち帰ってお守
りにする習わしで、墓前の「お前立ち」と呼ばれる石はすっかりちびている
 ▼厳しい景気に締めつけられて、今年の大学受験は「安・近・少」なのだとい
う。授業料の安い国公立。白宅から通える近場で、出願は少なく。加えてイン
フルエンザの心配も抜けきらない
 ▼木から落ちないコアラのふん、蒸気機
関車の滑り止めの砂、「勝どき駅」の合格祈願切符……。いつもの八百万(や
およろず)ぶりだが今年の願掛けはいっそう切実かもしれない。(ポップコーン
はじけ合格通知来る)山崎千枝子。わが30余年前を懐かしみながら、春遠か
らじとエールを送る。