ZS 医王(説聴の方規)

☆病の苦しみは 病む者にしかわからない
 病苦を治癒する道は 医王にしかわからない 
 世の中に病で苦しんでいる人々の多いこと、
大病院いけばわかる。そして、一人一人の病人が
それぞれ独特の苦痛を味わっている。見舞いに
いっても、その苦しみの訴えを聞き、想像し、慰め
るだけで、その苦を実体験することはできない。ま
してや、代わってあげることはできないのである。
 しかし、病人はわが苦痛を実感はするが、それを
治癒する道を自らは知らない。自力で病苦を癒すこ
とはできないのである。
 だからこそ医師にかかっているのである。「他
力」に任せているのであるー医療の知識と善意とを
もっていると信じている医師に。

 人生苦は、病気だけではない。老の苦、愛別(死に
別れ)の苦、家族・人間関係崩壊(怨憎)の苦、貧困
の苦、等々、枚挙にいとまない。

 「相槌の打つ声もなきこの家で
  気難しくも生きて行くのか」
            (永田和宏)

…愛妻を失い、これから老を独り生きていかねばならぬ
「四苦八苦」の歌である。
 こういう苦しみを実感しつつ、それを超え行く道を求める。

 父王を殺し、母を幽閉した五逆の罪ゆえに地獄に堕ちるこ
とを恐れ戦いている阿闍世王に、釈尊は月愛三昧の光を放ち、
その苦悩を癒す「大医王」となられた。「阿闍世のために涅槃
に入らず」と、阿闍世が懺悔して無根の信を得る導きをされた。
阿闍世は釈尊に病を癒されたのである。

 「医王」「癒病」といえば、教行信証の信巻にこういう引用
がある。

  『安楽集』(上 一八五)にいはく、「諸部の大乗によりて説
聴の方軌を明かさば、『大集経』にのたまはく、〈説法のひと
においては、医王の想をせ、抜苦の想をなせ。所説の法をば
甘露の想をなせ、醍醐の想をなせ。それ聴法のひとは、増長
勝解の想をなせ、愈病の想をなせ。もしよくかくのごとき説者・
聴者は、みな仏法を紹隆するに堪へたり。つねに仏前に生ぜ
ん〉と。

 上の「説聴の方規」、法座において説く者も聴く者もよくよく
心したいものである。

       
(出典 宏壽ノート 信巻 安楽集
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