ZS 不可価値

 それは「付加価値」の誤植ではない。英語でいう"invaluable"(〔…に
とって/…において〕評価できない〔計り知れない〕ほど貴重な)を念頭
においた言葉である。"value"は価値・価値をつける・評価するである。
"able"は可能。"in"は不の意味。金銭で価値を論ずることなどできない
ほどの価値をもつものにつける形容詞が
  "invaluable"
である。それをあえて「不可価値」と造語してみた。
 この世に不可価値なものはいくらもある。
水や空気、野菜・米・魚肉などの食料など。一応値段はついているが、
それはすべて人間の手間代。水も米も魚も、それ自体は一円ももらっ
ていない。みな、見返り・代償を期待しない天地自然のお恵みなので
ある。
 物質のみではない。我々人間として欠かすことのできない「言葉」。
いつの時代にどのようにして今の言葉になったものか。何万年、何十
万年もの間、祖先たちが磨いてきたであろう言語(語彙・文法)である。
 技術また然り。織物を作る智慧。紙や車輪の発明。調理法の発達。
治山治水の実績。みな先人の苦労の積み上げ・遺産である。その価
値たるや、金銭で評価できようか。
 そして思う。多くの「仏説」の経典。それを
書き、伝えてきた無数の仏道修行者。(例えば、経典獲得に17年か
けた玄奘三蔵を思うがよい。)紙代と印刷代は費用がかかるが、経典
の内容そのものは正に不可価値である。(経典に「版権」「印税」など
という、金銭感覚に毒された娑婆の概念は全く通用しない)。
 ましてや、本願念仏で悪業凡夫を救済せんとする阿弥陀仏の智慧と
慈悲。この価値をいかにして評価できようか。不可価値の最たるもの
である。アミタ(無量の光・無量の寿の仏)なのである、無量だから不
可思議(不可量)なのである。故に「如来大悲の恩徳は身を粉にしても
報ずべし」とまで宗祖はその恩徳の高さ、深さを痛感された。
 恩・めぐみとは、かくして、すべて不可量の
価値なのである。不可量で、値段がついていないから「ただ」のように
思っているものほど、
   "invaluable"。
「只ほど高いものはない」(只で済んだと思うが後で高い代償が必要
となる)という諺は、「高いものほど只(不可価値)である」というべきか。

(出典 藤枝宏壽 随想 H21-11-5)
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