SI 死んでも生き返る

資料 ①産経新聞掲載記事(平成14年6月日)、
②産経抄掲載記事(平成14年6月25日)

小学校高学年の児童の三分の一が「人は死んでも生き返る」と考えているというアンケート結果が、中村博志・日本女子大教授の調査で二十三日までに分かった。少年による殺人犯罪が起きるたびに「命の大切さ」を教えることの重要性が強調されるが、中村教授は「抽象的にお題目を唱えるだけではだめ。『死とは』『生とは』ということから教えるべき」と訴えている。                 (櫛田寿宏)

  調査は、中村教授が主宰する「死を通して生を考える教育研究会」が昨年、首都圏の小学校二校の高学年の児童三百七十二人を対象に行った。
  「一度死んだ人が生き返ることがあると思うか」との質問に「ある」と「ない」は同数で百二十六人(33・9%)。「分からない」は百十七人(31・5%)だった。
  ゲームの主人公が死んでも、リセットすればまた一から始められるという感覚なのだろうか。調査結果について中村教授は「小学校高学年になっても死を正しく認識していない子供が多いということを、深刻な問題としてとらえる必要がある」と話す。
  中村教授は大学で「死を通して生を考える」講義を行っているが、驚くべきことに大学生の中にも「一度死んでも生き返る場合がある」と思っている学生がいて、講義後に提出された感想に「大変驚いた」と書かれていたという。
  平成十二年に愛知県豊川市で起きた主婦殺害事件で逮捕された少年は「人が死ぬとどうなるのか見たかった」「人を殺す経験がしたかった」と語った。
  死を現実のものとして認識できなくなった理由について、中村教授は「核家族化でお年寄りが家にいなくなり、死に出会うことが少なくなった」とした上で、大人の態度にも問題があると指摘する。
  「飼っているカブトムシが死んでも、『あしたデパートで買ってきてあげる』としか言わない親がいる」
  中村教授は「死と向き合ってこそ、生き方を深く考えられる」と強調。「死の教育」として、動物の飼育を通してその死を取り扱う▽近親者の死の場面に連れてゆくーなどを提案している。

  実際の教育現場では「死」はどう扱われているのかー。
  福岡県立久留米筑水高は、飼育実習した鶏を処理し、調理して食べさせることで、他の生き物から命をもらっていることを体感させる授業を行っている。
  一方で、秋田県雄物川町の小学校が昨年、久留米筑水高と同様の授業を行おうとしたところ、匿名の保護者から授業の中止を求めるファクスが届き、断念するという出来事があった。
  これらの授業は、問題意識を持った一部の教師が行っているのみで、学校では「死」はまだまだ「死」は学校においてはタブーだ。都内のある小学校長は「子供が教師に問いかけたとしても、きちんと答えることは少ないのが現状ではないか」と打ち明ける。

  「子供から死についてたずねられたときこそ、ティーチャブルモーメント(教育の機会)だ」。そう語るのは「東京・生と死を考える会」会長のアルフォンス・デーケン上智大教授。大人が子供に誠実に死について語らない日本の現状を嘆く。
  デーケン教授の母国ドイツでは、近親者らとの死別や自殺防止、人間らしい死に方などを扱った教科書がある。英国では、数学の時間に各時代の平均寿命を計算したり、音楽でミサ曲を取り上げるなどして、各教科の担当教師が生と死について考える機会を提供しているという。
  デーケン教授は「一人の人が死ぬと周囲の人々の悲しみはどんなに深いのかを知れば、生命の大切さを知ることができる」と述べ、「子供に死を教えるということは、生きる喜びと感謝の心をはぐくむこと。日本でも人間教育の一環として、死への準備教育が学校教育に組み込まれることを望む」と呼びかけている。

平成14年6月25日掲載 産経抄掲載

  首都圏の小学校高学年児童の三分の一が「人は死んでも注き返る」と考えていたという。『死を通して生を考える教育研究会』の調査だが、「わからない」も三割、正しく認識していたのは残り三割だったそうだ▼飼っていたカブトムシが死んでも、「電池が切れた」とか「またデパートで買えばいい」といった家庭環境の中で育った子供に"命の大切さ"を教えるのは難しい。核家族化が進み、身近な祖父や祖母の死に立ちあうことも少なくなった。そんな子供たちに死を現実のものとして認識させるのは容易でないだろう▼ひとりの人が死ぬと周りの人びとは嘆き悲しむ。一ぴきの飼い犬や飼い猫が死んでも涙に暮れる心優しい人たちがいる葬式は逝った人への敬意を表し、死の尊厳を示す営みだが、そうした儀式に子供を参加させることも教育の一環になるかもしれない▼ところで以下は、合理的、科学的生命観による教育とは無関係な小欄の夢想であり、たわごとである。そういう生と死をめぐる"正しい認識"とは、さて何か。揚げ足をとるわけではないが、輪廻転生の宗教観によって「人は死んでも生まれ変わる」と考える人もいる▼子路の発した死の問題にこたえて、孔子は「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(生もわからないのに、どうして死がわかろう=論語・先進編)と語っていた。他人に教えるどころじゃない、こっちが教えてもらいたいくらいだとでも…▼人は死んでどこへ行くのか。「人間死ねばゴミになる」と観じたオニ検事総長もいたが、その答えは「わからない」が実は正解かもしれない。「知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり」、孔子は人間合理主義のかたまりだった。

        
(出典 産経新聞・産経抄)
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