SC 有阿弥陀仏

親鸞聖人の御消息(註釈版 第26通)「尋ね仰せられ候ふ念仏の不審のこと」は「有阿弥陀仏御返事」と宛ててある。「有阿弥陀仏」とは変わった名前であるが、それについて、こういう話を聞いた。
 有阿弥陀仏(ゆうあみだぶつ) …とは、大原問答に関連がある。
 比叡山の学僧顕真が主になって、法然上人に、専修念仏に関して「公開討論会」をいどんだのがいわゆる「大原問答」である。法義の上では五分五分であったが、機義においては「私は愚者。愚者はただ念仏の他に救いの道がない」という法然上人には、誰も抗弁できず、やがて顕真自ら念仏をする。すると参集の三百余人が三日間不断念仏をした。その結果、これから念仏する者は、法華経の一文字に阿弥陀仏を加えた法名を用いようと決まった。「有阿弥陀仏」はその一つであるという。(某師の法話?)

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阿弥号
阿弥号とは、阿弥陀仏を信仰する人々が用いた法名の一つであり、正式には阿弥陀仏(阿彌陀佛)号という。 阿弥陀仏を信仰する人々は、正式な阿弥陀仏以外に、略称として、阿弥や阿という法号を使う。たとえば、他阿弥陀仏が正式な表記であれば、他阿弥、他阿などのように、略して表記する。阿弥号は、浄土教が広まった平安時代の後半から始まるが、鎌倉時代に入ると、時宗の衆徒(時衆と呼ばれる)が阿弥号を称するようになる。(WikiPedia):《Wikiark》

⑵▼慈愛にみちた懇切な便り
 このご消息は有(ゆう)阿弥陀仏という門弟が、念仏往生についての疑問を親鸞聖人に尋ねたのに対してかかれた回答の手紙であります。有阿弥陀仏については、この手紙の宛名に記されたものが唯一の資料で、その人となりを知ることができません。しかし後に触れますが、○阿弥陀仏×阿弥陀仏という名前は、天台宗の念仏者、浄土宗の人に多いので、そういう立場にあった人が聖人に帰依したものかも知れません。
 聖人の返事に「念仏を申して浄土に往生すると信じる人は、浄土のはずれである辺地にしか往生することができない、といって非難されるというのはまったく理解できないことであります」と有阿弥陀仏の質問を要約し、それが誤謬(ごびゅう)であることを教示されているのですが、そういう誤った教えを主張するのが有阿弥陀仏自身なのか、あるいはそのような主張をする他の人が、有阿弥陀仏を非難しているのか、はっきりしません。
 返事のなかで、「他の人がなにをいおうと迷うことなく、念仏を申して浄土に往生すると信じるままでよい」とか、また「あなたの考えはまことに結構です」とはいわないで、「このあたりの事情をよくよくお心得になって、お念仏なさってください」と教示されるところからすれば、念仏往生について誤謬をいただいて、真実の念仏者を非難していたのは有阿弥陀仏自身であったのではなかろうか、と推測されないでもありません。
 ただ返事全体から受ける語感がきわめて慈愛にみち、かんでふくめるように懇切なものでありますから、有阿弥陀仏の人柄を聖人はよくご存知だったのではないでしょうか。
 末文にあります、
  この私は、いまはすっかり年をとってしま  い、きっとあなたに先立って往生するでし  ょうから、浄土であなたのおいでをかなら  ず必ず待っております。 
の一節を読んで、有阿弥陀仏は感涙にむせんだことであろうと想います。私は『歎異抄』第九条で、孫であってもいいほどの年齢の唯円房に「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり」としみじみと語られた一節と、いまの有阿弥陀仏への一節に、聖人の慈父のような人柄を見て、ふるえるほどの感動を憶えるのです。
 この手紙は、七月十三日の日付だけで、聖人何歳の時のものかわかりません。おそらく最晩年のものではないでしょうか。有阿弥陀仏は聖人よりも年下でしょうが、かれも老齢の身であったと推測できます。」(中西勝海)

(出典 聞法ノート)
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