SC 三部経の音読と訓読

2019年5月6日の朝日新聞「声」に投稿が載った。
*  *  *  *  *
  お経がわかる工夫してます
     住職 藤枝 宏壽 (福井県 85)
「どう思いますか『お経がわからない』」(4月3日)を涜みました。
 お経が分からないのは当然です。漢文を棒読みにして分かるはずがありません。だから愚僧は以前から、上段に漢文、下段に訓読か現代語訳を掲載した経本を作って出版しており、葬儀や年回忌などで参会者に配布します。
「私が上の漢文を音読するから、下段の訓読を目で追い、だいたいの意味を取っていってください。もし、気になる言葉があったら巻末の注を見るとよいでしょう。お経で大事な箇所は、私も下段を訓読するからよく聞いてください」というように説明をしてから読経を始めます。
 皆さんは「テキスト」を読むのに一生懸命で、よそ見や居眠りをする人はいません。読経の後、訓読した葦所や大事な用語を手がかりに法話をすると、聞いたお経をある程度理解されます。こうして、お釈迦様のご税法であるお経の意味が、少しでも人々に伝わるように工夫しております。
*  *  *  *  *
 この「声」にはかなり反響があり、その「工夫」の経本『真宗法要聖典訓読付』を送った。その経本読誦の(私流)仕方をメモしておこう。
#   #   #   #
『真宗法要聖典 訓読付』の読誦法
  ・・・経典音読に訓読を挟み、経意を敷衍(ふえん)する一例・・・
  ー(読経中「○頁下段○行目です」と小声(脇台詞で)で訓読箇所を示す)
【無量寿経】
 ①法蔵菩薩の出現
   上段 18頁最終行 「願楽欲聞」(音読) で切り(キン) 
   下段 19頁3行  「仏、阿難に告げたまわく」より訓読~
        20頁5行  「をもって讃じて曰く、」でキン
   上段 20頁後3行 「光顔巍巍」以下 音読にもどる。
②法蔵菩薩の志願
   上段 24頁5行  「忍終不悔」(音読) で切り(キン)
   下段 25頁1行  「仏、阿難に告げたまわく「法蔵比丘、より訓読~
       25頁後2行 「しめたまえ』と。」 でキン
   上段 25頁終2行 「仏告阿難・時世繞王仏」以下音読にもどる。
③法蔵菩薩四十八願への導入・・・(「四十八願」が活きるように導入文を入れる)
   上段 28頁5行  「四十二劫」(音読)で切り(キン)
   下段 29頁1行  「時に法蔵比丘、二百一十億の」より訓読~
       30頁5行  「之を説くべし。」 で一度切る(キン)
④法蔵菩薩の四十八願・重誓偈
      30頁6行   「(第一願)設い我仏をえたらんに・・・」
          8行  「(第二願)設い我仏をえたらんに・・・
      最終行 ・・・正覚を取らじ。」でキン
  上段 31頁1行  「設我得仏・・・不悉真金色者・・・」以下音読にもどる。
     《四十八願で訓読するときは始めに「第○ 願」と小声で言う。
     上記の他、願文の訓読は17、18願、 33願、48願とし、重誓偈は最初3誓願
     (下段では54頁3行)までとする・・・時間的制約から》
⑤法蔵菩薩の成仏(以下訓読箇所のみ)
    下段 56頁 5行~57頁6行
  ⑥願成就文
    下段 60頁 6行~61頁7行
  ⑦流通分
    下段 61頁後2行~62頁7行
   
以上が無量寿経読誦の際に愚生が用いている訓読の「一例」です。
   読経の時間は35~40分です。
   この読経のあと、156頁の和訳正信偈 (経讃)(約7分)
   一口法話 (例 174頁「正定聚」について)(約10分)を行います。
  ご参考になるところがあれば幸いです。

【観経】音読中、訓読をするところ:
  ①81頁 下段終2行 「その時に世尊、即ち微笑・・・」から
   84頁 下段5行 「・・・正因なり」と。 まで
     ※83頁中程「父母に孝養(きょうよう)し」は没後の「追善供養」(法事など)と従来
       いわれているが、「法事」も「仏事」であり、仏事とは「仏が衆生を救済される事;
       つまり「仏の仕事」」という意味である (曇鸞大師)。だから、今日の法事におい
       て阿弥陀仏の御はたらき、教法にあい、お念仏すること。それが亡き方の還相
       回向(残されたものへの願い、はたらきかけ)に遇うことです。」(一口法話)  
  ②96頁 下段 7行 「無量寿仏には八万・・・」から
    97頁 下段 2行 「捨てたまわず」 まで。
  ③107頁 下段 後2行 「その時阿難、即ち座より起ちて」から
   110頁 下段 2行 「・・・皆大いに歓喜す。」まで。
     ※109頁 後4~2行 「汝好くこの語を持て・・・持てとなり」: ここに観経の結論
       「汝はこれ凡夫なり・・・念仏することのみが救いである」 との釈尊のイダイケに
       対する御説法の要がある・・・と一口法話をする。  

【小経】
A)枕勤めのとき
   ①116頁 下段 1行 「その時に、仏、長老舎利弗に告げ・・・」から
     117頁 下段 1行 「づく。」まで。
      ※故人は阿弥陀仏のお力によって、西方のお浄土に往かれました。
   ②122頁 下段 4行 「舎利弗、汝が意において云何。」から
     123頁 下段 1行 「に阿弥陀と名づく」まで
      ※「アミタ」とは、「光と寿(いのち)きわみなき仏」という意味です。光は我々人間の
        暗くなる心の問題、いのちは無常でうつり変わり、やがて死なねばならぬ問題。
        この人間の根本問題を無限の光と寿で救ってくださる「阿弥陀仏」のお力、お徳を
        讃えるのが、真宗のお葬式全体の精神です。
B)納骨・初七日のとき
   ③124頁 下段 4行 「舎利弗、衆生聞かん者・・・」から 最終行 「・・・得べからず」まで。
      ※亡き方は、阿弥陀仏の本願力でお浄土に生まれられましたが、そこで、すでに往生
        されている菩薩方・ご先祖方と「ともに一処に会う」楽しみにひたっておられます。阿
        弥陀仏のお浄土は 「みな一つにとけ合える世界」 なのです。
          しかも「安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて
        利益衆生はきはもなし」とご和讃にあるように、お浄土から「南無阿弥陀仏」となって
        還ってこられて、私たち残されたものを、真実のさとりへ導いてくださるのです。
   ④133頁 下段 後2行 「舎利弗、もし人ありて、已に願をおこし・」から
    134頁 下段 後2行 「(かの国土に生まるべ)し。」まで
       ※阿弥陀仏の国に生まれるとは、阿耨多羅三藐三菩提:この上ないさとりを得ることです。
        阿弥陀仏と同じおさとりを得させていただくのです。故人も迷いの境界をきっぱり離れて、
       最高のおさとり・仏になられたのです。
 C)忌日、忌明等のとき
  ⑤128頁 下段 後4行 「舎利弗、西方の世界に」から
    129頁 下段 後6行 「護念せらるる経を信ずべし。」まで。
       ※西方浄土には「無量寿仏」つまり 阿弥陀仏がおいでになり、その他無量相仏、無量幢仏
        など、ガンジス河の沙の数ほどのあまたの仏がましまして、皆、三千大千世界、宇宙いっ
        ぱいにひびき渡るような大声で、まことの言葉を説いておられる:「この経を聞いておられ
        る皆さんよ、われわれ人間を根っこからお救いくださる阿弥陀仏のお徳を信 じ、念仏しな
        さい」と。
         その諸仏の中に釋__様も入っておいでになり、今この法事・仏事の場に還相回向して
       おいでになるのです。
         諸仏・阿弥陀・故人のおよび声を聞きながら、今いちど「南無阿弥陀仏」とお念仏しましょう。
 D)百ヶ日等のとき  
   ⑥134頁 下段 最終行 「舎利弗、我いま諸仏の不可思議・・・」から
     136頁 下段   3行 「れをはなはだ難しとす。」まで。
      ※「この経を信ずべし」と何回聞いていても、聞きなれてしまうと、無感覚になりやすい。蓮如上人
        は 「おどろかす甲斐こそなけれむらすずめ 聞き慣れぬれば鳴子にぞ乗る」 と誡めておられ
        ます。 阿弥陀仏のお慈悲は尊いと、何度阿弥陀経を聞いていても、内心に響いてこない。そ
        のことをお釈迦様は 「難信の法」「信 じがたい法」と 言われた。なぜでしょうか。
        「このみ法(のり)聞き得ることの難きかな 我賢しと思ふばかりに」(一蓮院)である。 わが身
        を買いかぶっている。何でも知っている、わかっている、何でもやってきた、「我は賢い」とうぬぼ
        れているからである。いや、そこまではいかないが、「何か大いなる力」は信じていて、仏様にも
        ちゃんとまいっていると、世間並みの「善人」ぶっているからである。
         そういう人は「極重悪人は唯仏を称うべし」の意味が分からない。自分こそ一生涯煩悩の尽き
       ない「極重悪人」だと、仏の光に遇って知らされたとき、阿弥陀経の真意が聞こえてきて、
          「仏の説きたまいし所を聞き、歓喜し、信受して、礼をなして去りにき」(136頁)
        とお経「頂戴」が出来るのでありましょう。
  E) ご参考に
       愚生は、月参りで小経読誦のあと、拙著 『阿弥陀経を味わう三十六篇』 を1篇ずつ、月替わりで
       朗読し、一言コメントを加えています。効果が感じられます。