SC 「法縁の慈悲」

   「法縁の慈悲」についてお尋ね
本願寺出版社『大乗』編集部長殿

『大乗』(令和元年)12月号の「モア 仏教ライフ45」の中に下記の一節があります。
  三縁の慈悲
   仏教では、相手に対する・・・
   小悲は、・・・
  ●中悲は、法縁の慈悲ともいい、仏教の教えによって救おうとする慈悲です。教えに出会うと、自分の姿に気づいて、道理にかなった生き方で相手に関わろうとし   ます。「埋葬先不明」となった方をめぐつて生まれた思いや行いと重なってきます。しかし、小悲・中悲ともに限界があります。 (39頁)

この一節は「迷い犬」、「埋葬先不明」のエピソードに対する「仏教的」見解の根拠として、たまたま「三縁の慈悲」を持ち出されたのでしょうが、「三縁の慈悲」と銘打って書かれていると、読者は「三縁の慈悲」の定義だと思います。そこで、上記引用文の下線部について疑問が2つ生じました。
 Q1 中悲=法縁の慈悲=仏教の教えによって救おうとする慈悲(前半)に限界がある(後半)とは、「仏教の教えに限界がある」ということですか。(文面上の        齟齬)
 Q2 「法縁の慈悲=仏教の教えで救う慈悲」という解釈は、何を典拠にされましたか。

   因みに、2,3の辞書等を見ると次のように出ています。
  (A)『中村元 仏教語大辞典』
    【法縁の慈悲】 一切の諸事象は因縁の和合によって生じたものであるから、もとより自性なしと知って起こす慈悲をいう。無学の二乗と、十地以前の菩薩        の慈悲。
  (B)『総合仏教大辞典』(法蔵館)
    ⑵ 法縁の慈悲。 諸法は無我であるとの真理を悟って起こす慈悲。これは無学(阿羅漢)の二乗および初地以上の菩薩の慈悲で、中悲という。
  (C)『浄土真宗聖典』巻末注(1475頁)
    ②法縁。衆生の実体はないが、個体を構成する五蘊の法体は実有であるとする 小乗の聖者(説一切有部のことか…筆者注)のおこす慈悲で中悲ともいう。
  (D)Wikepedia
    法縁(ほうえん)とは、すでに煩悩を断じた聖人が、人々が法は空なりという理を知らずに、ただ苦を逃れ楽を得ようとあがくのをみて、抜苦与楽せんと思 う心    をいう。

(A)~(D)を通じて注意すべきは、上記の「法縁の慈悲」というときの「法」というのは「仏法・教法」のことではなく、「存在」(事象・諸法・法体)を表すということである。

「法」については、下記の辞書定義を参照されたい。
 (E)『総合仏教大辞典』(法蔵館) 
   ほう 法 (梵)ダルマdharmaの訳(達磨、達摩、駄摩、曇摩、曇無、曇と音写する。任持(にんじ)(能持)自性(じしよう)・軌生物解(きしようもつげ)の二義をも        つとされる。即ちそれ自体の自性(独自の本性)を保持して改変せず、よく軌範となって人に一定の事物を理解させる根拠となるものをいう。従って法は任持     自性の意味からいえば、自性をもって存在している一切の「存在」をさし、軌生物解の意味からいえば、認識の標準となる規範、法(のり)、方則、道理、教     説、真理、善行をさすことになる。
     ①色法、心法、、一切諸法、万法などという法は、すべて存在を意味する。   ②仏の教えを仏法、教法、正法軋如うといい、外道の教えを邪法と称するな      ど、法の語はすべての行為の規範、教説を意味する。つまり真理といわれるものは不変にして普遍なる真実の道理であるから、法と呼ばれ るのにふさわし      いが、この真理を説 いているのが仏の教説だからであ る。
 (F)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    上記にも述べたように、「法」の概念は仏教では多岐にわたる。ロシアの仏教学者シチェルバツコイ(英: Fyodor Shcherbatskoy)は、「法」の語をほぼ二義にま    とめている。
     1.「真理」の意味を中心とする一群。仏教の「教義」「教法」「法則」などの意味がある。
     2.「存在」の意味を中心とする一群。「存在するもの」という意味であり、存在の「性質」「徳性」、さらには「具体的な存在」を構成している実体的要素なども含       めて考えられる。

従って、「法縁の慈悲」の「法」は、上記の2「存在」の意味である。その解釈を(A)に当てはめれば、「一切の諸事象は因縁の和合によって生じたものであるから、もとより自性なしと知って」とは「あらゆる存在は(五蘊仮和合のように)因縁の仮和合によって生じたものであるから、自性、つまり「我」がない、換言すれば「諸法無我」<(B)参照>である。      

結論法縁の慈悲」とは「諸法無我(あらゆる存在に自性(我)はない)とさとった声聞・縁覚や菩薩が(まだそのさとりに至らない者に対して)おこす慈悲」の
ことである。

 
●冒頭の問題文も、次のように表現し直しできないものでしょうか。
修正案中悲は、法縁の慈悲ともいい、諸法  無我(あらゆる存在に変わらぬ実体はない)という立場から救おうとする慈悲です。ひらたく言うと、物事に余りこだわ      らないこと。「埋葬先不明」についてもそう感じられます。しかし人間、簡単にこだわりから脱却できません。小悲・中悲ともに限界があります。

以上、失礼ながら所感・愚見を申しました。ご見解をお示しくだされば幸甚です。                       合掌
      令和1年12月12日
〒915-0083 福井県越前市押田2-8-3     真宗出雲路派了慶寺住職  藤枝宏壽
        (℡&Fax 0778-22-1254)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《返信》   
"油小路 宗亮"   12/17 (火)

藤枝宏壽様

先日はお電話ありがとうございました。
メールでご無礼いたします。

この度はご丁寧にご指摘・ご解説・ご教示賜り心より御礼申し上げます。取り急ぎ拝受のご報告をとメールいたしました。

法縁については、修正も含めまして、先生のご解説の通りと存じます。小職の至らぬことで、たいへんお手数をおかけして申し訳ございません。
今後とも何卒よろしくご指導ご鞭撻賜りますよう心よりお願い申し上げます。
  大乗刊行会 油小路 宗亮

(出典 聞法ノート)
【キーワード】 
法縁 法の二義 教法 存在 二乗