SC 「はからひ」
◎『親鸞聖人御消息』に「はからひ」という言 葉が49回出てくる。3種類の用法がある。
 A)「(仏の)御はからひ}   9回
 B)「(凡夫の)はからひ」  31回
 C)(その他の)はからひ   9回
       計        49回
《例》 (西『聖典』頁数)
A-1 如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、すこしもたがわず候ふなり(771-6)
A-2 煩悩具足の凡夫の無上覚のさとりを得候ふなることをば、仏と仏のみ御はからひなり(777-1)
A-3 まことの信心をば、釈迦如来・弥陀如来二尊の御はからひにて発起せしめたまひ候ふ(793-3)
B-1 行者のはからひは自力なれば義といふなり(746-12)
B-2 自力の御はからひにては真実の報土へ生るべからざるなり(747-3)
B-3 弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて・・・(769-1)
B-4 ただ誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなへつるうへは、なんでふわがはからひをいたすべき。・・・
     ただ不思議と信じつるうへは、とかく御はからひあるべからざず候ふ。往生の業にはわたくしのはからひあるまじく候ふなり(781-4~8)
B-5 他力と申し候ふは、とかくのはからひなきを申し候ふなり(783-2)
C-1 余のひとびとを縁として、念仏をひろめんと、はからひあはせたまふこと、ゆめゆめあるべからず候ふ(772-13)
C-2 領家・地頭・名主の御はからひどもの候ふらんこと・・・(787-2)
C-3 信願坊が申すやう・・・仏恩をしらずよくよくはからひたまふべし(789-7)
《領解》
  ・・・上記の法語を、私的にこう領解する。
A: 仏の「御はからい」とは阿弥陀如来(仏)が迷妄の衆生を済う(利他)ために建てられた「➊総合的かつ❷緻密な❸一大救済計 画」であり、   これを他力という。
    ➊総合的とは:「迷妄の衆生」の実態は千変万化である。故にその救済策も一様ではない。因位の法蔵比丘が「二百一十億の 諸仏の国   土」の人天の善悪を覩見・研究され、どうしたら十方微塵世界の衆生を救えるかと、五劫の間思惟をされた所以である。その結果四十八の   願、重誓の願の選択・決定となる。しかしその願を悉く成就するためには兆載永劫・果てしない時をかけての修行(救済力練成の実践活動    )が要る。その修行たるや、「貪りの心や怒りの心や害を与えようとする心を起さず、また、そういう想いさえも持っていなかった」等の精神   的(形而上的)練成から、「あるときは富豪となり在家信者となり、またバラモンとなり大臣となり、あるときは国王や転輪聖王(てんわじよう    おう)となり、あるときは六欲天(迷いの欲界の六天にまでなって!)や梵天などの王となり」等の実生活的(形而下的)な研修の場まで、総    合的な計画実践をされたのである。法蔵の本願にはこうした人間の実態の体験的認識が裏付けされている、完璧な「総合計画」だと頂く。
     こうして法蔵菩薩は修行円満して「自在」 の境地にいたり「成仏」された。すなわち 「南無阿弥陀仏」となられたのである。
    この名号を信じ称える・念仏申す中に如来の衆生救済計画の一切が「総合的」にはたらくのである。
    ❷緻密にとは:「南無阿弥陀仏」はたった六字の名号であるが、無数の衆生の無数の願いを「ことごとく、すみやかに疾(と)く満足する」不    思議な力がある。ちょうど、ジャンボジェット機が数百人の乗客を大空に浮上させ、スムーズに運ぶのは、「600万個」の部品が緻密に製作   ・組立・整備されているからだというのに喩えられる。仏 の本願・名号は「十方微塵世界の念仏の衆生をみそなわし(見通され)」て成就され   ていることに安心するばかりである。大経には「微妙(みみよう)安楽(あんらく)」〈西『聖典』53)、「微妙(みみよう)難思議(なんしぎ)」〈西『聖典』   44〉>とある。
   ❸「一大救済計画」とは: 自ら救われて いくような力も取り柄も全くない(空飛ぶ力皆無の)私のような十方の衆生を、如来の一方的なはた   らき(他力)で救おうという「大計画」は古今未曾有ーまさに「超発希有大弘誓」である。その大計画の一切が 「御はからひ」に収まる。
   上記御消息B-4等に述べられている通り「如来の誓願不思議・他力・御はからひにおまかせ」し、わが「自力のはからひ」を しないよう親鸞   聖人は強調されている。
B: 凡夫の「はからい」   
     ところが、凡夫・自力の得手勝手なはからいは執拗で、止まない。聖人の誡め回数の多さ(31/49)でわかる。なぜか? 
   「凡夫・自力の得手勝手なはからい」とは、何をするにも自己中心(自利)的に計らって心・口・意の行動する習性がある。
   如来の本願・名号は、そういう自利・自力心の抜けない凡愚をこそ救おうという絶対利他の大悲心が成就した結果であり、凡愚の分際では  思議できない「不可思議」(仏と仏とのみの境界)である。それにも拘わらず、凡夫・自利・自力の思いで、考え 議論(法論)しようとする。
   「超発本願・名号成就ー現生正定聚ー淨土往生・成仏ー還相回向」の教理(救済の原理)ーこれはよく聞かせていただき、疑問があれば尋  ねる(「よき御うたがい」をする)べきである。しかしそこに止まってはいけない。「弥陀五劫思惟の願をよくよく案じみる」ーそのお救いの大御   心をよくよく罪業深いわが身に頂いてみたら、「ようこそ、ようこそ、そこまでも、この凡愚の私ためにご苦労・お喚びかけとは・・・   ありがと  うございます。南無阿弥陀仏」と、すっかり「如来の御はからひ」に「おまかせして」信心歓喜、念仏するのが信心を得たすがたである。
    それを、教義の断片(言葉)を持ち出してきて、「とやかく」知ったがましく、名利のために議論したり、疑ったりする「はからい」は、「底下(て  いげ)の凡愚(ぼんぐ)」という「己が分」を忘れたすがたであると、聖人は誡めておられる。
    要は、「仏の御はからひ」(本願・名号)には寸分の狂いもないことを信知させて いただき、ただ「ほれぼれ」と念仏する全幅の馮依(ひよう  え)「おまかせ」より他ないのである。
味わい
  ☆「念仏申さるべし。これは如来の本願なり。このなかにたすけたまふ御はからひあり。これを信ずるを弥陀をたのむとは申すなり」           (了慶寺 浄専 法語)
  ☆はかりなき仏のお慈悲をはからいて  はからいつきてはからわれていく  (道歌)
  ☆おのが目の力で見ると思うなよ 月の光で月をみるなり     (道歌)
  ☆ 庄(しよう)松(ま)(お剃刀の場で門主の袖をつかみ)・・・ 「兄貴、覚悟はよいか?」
    興正寺門主  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「お前の信心は大丈夫か?」
    庄松(ご本尊を指して)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「アレに聞け」
        
(出典 聞法ノート)
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