SC 消息往復の日数

 『親鸞聖人御消息』(註釈版)十三は、全篇の中で最長(同版で8頁)のもの。その内容は次ぎの通りである:
①慶信房(覚信房の子息)のお尋ね(信心仏性 のこと、信心と念仏のこと、称名日課のこと、 六字名号と十字名号のこと、など)
➊十月十日      慶信
②親鸞聖人のお答え(名号字数に差なし)
③蓮位房の添え書き
④親鸞聖人の書き物(彌勒等同のこと)の写し
⑤蓮位房の後書き(覚信房のことなど)
  ❺十月二十九日    蓮位

「御消息」だから、当然その内容の検討が主たる研究課題ではあるが、今は、上記の手紙の日付から、その当時、私的書簡の授受はどのようになされたのかに、ふと興味が湧く。
Q1 何日かかったのか?
 発信者慶信は在関東(常陸?)、親鸞・蓮位は 在京都とすれば、その間約600km余。
所要日数  凡そ 18日☆
➊10日 + 18日= 28日(親鸞に到着)
      到着後 すぐ・即日 返信
❺29日 返信発送
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│ ☆『郵便のおもしろい歴史』等の資料による   
│     京都ー江戸(500km:  常人徒歩15日)  速度 33km/日  
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親鸞聖人は晩年(85~88?)、咳病に臥 せて居られるという状況でありながら、覚信 
(聖人膝下での往生に涙された)の子である慶信の手紙を重視して、即日蓮位を祐筆
とし て返信を書かれたようだ。
Q2 誰がその消息を運んだのか?
明解は出ないが、可能性としては
ア 覚信の弟子(孫弟子?)が私的使者役
イ 覚信の知り合いの公的「飛脚」に委託
∵①の文末に「京にひさしく候ひしに・・・」
と覚信が書いている。慶信は関東武者で大番役(内裏警固)として京都に来ていたが、そのとき聖人に会えなかっ    たことを悔やんでいる。だから、鎌倉
幕府系か、内裏・貴族系の「飛脚」に
知り合いがいて、それに托したとも考えられる。

 (出典 『親鸞聖人御消息』、同『現代語版』、
   『郵便のおもしろい歴史』(郵政博物館)
    等を参照。
【キーワード】 鎌倉時代の書簡の運搬 日数 使者 飛脚