SC 「疫癘」の実態
 「疫癘」とは
                    八王子山 了慶寺 藤枝宏壽
【疫癘(えきれい)の御文 四帖目第九通】 
「当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりて
はじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業(じようごう)
なり。さのみ ふかくおどろくまじきことなり。(中略)
  あなかしこ、 あなかしこ。
   延徳四年六月 日」
 この御文章が書かれた延徳四年(1492年)・・・蓮如(1415~1499)77
歳・・・の頃の状況を知ろう。  
○延徳から明応へ改元 
 1492年8月21日(延徳4年7月19日)疫病により改元とある。
    当時甲斐国(山梨県)を中心に記録を残した「妙法寺記」によると、
1486年(文明18年)  “此の年、疫病流行、千死一生なり”。翌87年(長享
元年)“此の年、疫病にて人多く死ぬること大半にすぎたり”。またその翌
88年(同2年)も“7月、8月、疫病。人多く死す”  とあり、翌89年(延徳元年)
には“此の年も  疫病流行して人民死す”と記したが、悪いことに翌90年
(同2年)には“此の年多く日照り、後には大風、又大雨降りて、作毛皆実
なし、大飢饉申すばかりなし”と疫病ばか  りでなく、飢饉にもなってしまっ
たと記録している。

「疫癘」とは疫病のこと。蓮師の「当時このごろ」というのは、延徳時代のこと
で、上記のような疫病・飢饉の状況であった。
  『阿弥陀経』には「五濁悪世。劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁」とある。
劫濁 とは、時代の濁りのこと・・・天災・疾病・闘争(戦争)で時代が濁っている
と説かれている。
   疾病とは悪疫流行のこと。蓮師のいう「疫癘」もそうであり、大正7ー8ー9年
のスペイン風邪もそうであった。(大正7年には、5500万人口のうち、2100万
人が罹患・25万人死亡したといわれる。
   2019-2020の新型コロナウイルスも世界的なパンデミックである。
☆しかし、人間は「疫癘」でなくても死ぬ。
 それを「定業」(生まれたときから人間は死をかかえている)と蓮師は諭す。
☆どのような縁で死のうとも、後生の一大事を
 阿弥陀仏におまかせし一心一向に阿弥陀仏に帰命すべしと、御文は結ばれている。
☆そういうことを知らぬのが「バカ」だと暁烏 敏師はきびしい。
  オ マ イ モ  シ ヌ ゾ
 「於 麻 以 毛 志 努 曽」
 コノ バ カ
 「斯 婆 迦」        
 
(出典 聞法ノート)
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