SC 十二礼と十二光

 ある信者さんが、『十二礼』と「十二光」とは関係があるのか、と尋ねてきた。関係ない、と直感したが、一応調べてみた。
 先ず「十二光」(大経所出)から
 
☆「十二光」とは
 十二光
   阿弥陀仏の光明(仏の智慧の徳を示す) の徳を十二種に分かって称讃したもの。また 十二光仏ともいい『大経』に述べられている。
無量光(むりょうこう)。量(はか)ることの できない光。
無辺光(むへんこう)。際限のない光。
無碍光(むげこう)。なにものにもさえぎら れることのない光。
無対光(むたいこう)。くらべるもののない 光。
炎王光(えんのうこう)。最高の輝きをもつ 光。
清浄光(しょうじょうこう)。衆生のむさぼ りを除くきよらかな光。
歓喜光(かんぎこう)。衆生のいかりを除き よろこびを与える光。
智慧光(ちえこう)。衆生のまどいを除き智 慧を与える光。
不断光(ふだんこう)。常に照らす光。
難思光(なんじこう)。おもいはかることが できない光。
無称光(むしょうこう)。説きつくすことが できず、言葉もおよばない光。
超日月光(ちょうにちがっこう)。日月に超 えすぐれた光。
(大経 P.29, 消息 P.793)

曇鸞どんらん大師は『讃阿弥陀仏偈』に十 二光のひとつひとつを阿弥陀仏の徳にあては めて讃嘆せられ、親鸞聖人も『浄土和讃』の はじめにこれを讃じてある。また親鸞聖人の 『銘文』には、『首楞厳経しゅりょうごんきょ う』の十二如来と『大経』の十二光仏とは同 じであり、十二光仏が一劫こうに一仏ずつ順 次世に出現されるとある。→光明(こうみょ う)。
  出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗 聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
  『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願 寺出版社
  →讃阿弥陀仏偈と浄土和讃
御開山は『弥陀如来名号徳』(一部落丁が ある)では、十二光の一々について釈され ておられる。
『大経』には十二光を、
このゆゑに無量寿仏をば、無量光仏・無辺 光仏・無碍光仏・無対光仏・焔王光仏・ 清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光 仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と 号す。(大経 P.29)
とあり「正信念仏偈」で
あまねく無量・無辺光、無碍・無対・光 炎王、清浄歓喜智慧光 不断難思無称光、超日月光を放ちて塵刹を照らす。一切の 群生、光照を蒙る。
とあるとおりである。

☆『十二礼』とは 
  本書は、善導大師の『往生礼讃』の「中夜讃」に、「龍樹菩薩の願往生礼讃偈」と称して依用されているとおり、龍樹菩薩ご自身が阿弥陀仏の浄土に往生することを願って、阿弥陀仏を礼拝讃嘆された偈頌である。
  迦才の『浄土論』(下記▲)には、「禅那崛多三蔵別訳の龍樹の讃のごとき、阿弥陀仏を礼する文、十二礼あり」と述べられている。
  偈頌は七言一句、四句一偈で、全部で12偈ある。最後の一偈は回向で結ばれるので礼拝を示す文は出ていないが、他に準じて「十二礼」と称される。
  その内容は、初めに阿弥陀仏の徳を讃嘆し、ついで浄土の聖衆の徳を、さらに国土の徳をそれぞれ讃嘆していかれる。そして最後にこの法の徳を人々に伝えて、ともに往生しよう と願う回向句をもって結ばれている。
    (WikiArc より)

☆仏教思想史から言えば、無量寿経(1~2C)の「十二光」が原初である。龍樹(2~3C)がその「十 二」に依ったかどうかは分からない。
☆仏教思想の中で「十二」という語は、「十二光」 「十二礼」の他に、「十二因縁」(SATで4000回)、 「十二部経」(1300回)がよく使われている。
☆仏教外でも「十二階位」「十二支」「十二単」 など「12」という数はよく使われる。
※下記 参考 を参照されたい。
        
(出典 聞法ノート;ネット)
【キーワード】十二光 十二礼 無量寿経
   正信偈 龍樹 迦才 讃阿弥陀仏偈 
善導 往生礼讃 願生 頂礼

【参考】
 ⑴ 十二礼 原文①(本願寺派の教本) 
十二礼
稽首天人所恭敬 阿弥陀仙両足尊
在彼微妙安楽国 無量仏子衆囲繞
金色身浄如山王 奢摩他行如象歩
両目浄若青蓮華 故我頂礼弥陀尊
面善円浄如満月 威光猶如千日月
声如天鼓倶翅羅 故我頂礼弥陀尊
観音頂戴冠中住 種種妙相宝荘厳
能伏外道魔驕慢 故我頂礼弥陀尊
無比無垢広清浄 衆徳皎潔如虚空
所作利益得自在 故我頂礼弥陀尊
十方名聞菩薩衆 無量諸魔常讃歎
為諸衆生願力住 故我頂礼弥陀尊
金底宝間池生華 善根所成妙台座
於彼座上如山王 故我頂礼弥陀尊
十方所来諸仏子 顕現神通至安楽
瞻仰尊顔常恭敬 故我頂礼弥陀尊
諸有無常無我等 亦如水月電影露
為衆説法無名字 故我頂礼弥陀尊
彼尊仏刹無悪名 亦無女人悪道怖
衆人至心敬彼尊 故我頂礼弥陀尊
彼尊無量方便境 無有諸趣悪知識
往生不退至菩提 故我頂礼弥陀尊
我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水
所獲善根清浄者 回施衆生生彼国
 (※読誦用に整理された偈文)

⑵ 十二礼 原文①の訓読
【1】
 天・人に恭敬せられたまふ、阿弥陀仙両足尊に稽首したてまつる。
かの微妙の安楽国にましまして、無量の仏子衆に囲繞せられたまへり。
【2】
 金色の身、浄くして、山王のごとし。奢摩他の行は、象の歩むがごとし。
両目の浄きこと、青蓮華のごとし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【3】
 面よく円浄なること、満月のごとし。威光はなほ、千の日月のごとし。
声は、天鼓と倶翅羅のごとし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【4】
 観音頂戴の冠中に住したまふ。種々の妙相、宝をもつて荘厳せり。
よく外道と魔との驕慢を伏す。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【5】
 無比・無垢にして、広く清浄なり。衆徳皎潔なること虚空のごとし。
所作の利益に自在を得たまへり。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【6】
 十方に名の聞ゆる菩薩衆、無量の諸魔、つねに讃歎す。
もろもろの衆生のために、願力をもつて住したまふ。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂
礼したてまつる。
【7】
 金を底とし、宝を間へたる池に生ぜる華、善根の成ぜるところの妙台座あり。
かの座の上にして山王のごとし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【8】
 十方より来れるところのもろもろの仏子、神通を顕現して安楽に至り、
尊顔を瞻仰してつねに恭敬す。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【9】
 諸有は無常・無我等なり。また水月・電の影・露のごとし。
衆のために法を説くに名字なし。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【10】
 かの尊の仏刹には悪の名なし。また、女人と悪道との怖れなし。
衆人、心を至してかの尊を敬ふ。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【11】
 かの尊の無量方便の境には、諸趣と悪知識あることなし。
往生すれば、退せずして菩提に至る。ゆゑにわれ、弥陀尊を頂礼したてまつる。
【12】
 われ、かの尊の功徳の事を説くに、衆善無辺にして海水のごとし。
獲るところの善根清浄なれば、衆生に回施してかの国に生ぜしめん。

⑶ 十二礼①の引用元=善導の『往生礼讃』(中  夜讃)の十二礼②では、冒頭から各偈が礼拝  句で始まり、願生句で終わる。それが12回  繰り返される:
【1】 南無至心歸命禮西方阿彌陀佛
稽首天人所恭敬 阿彌陀仙兩足尊
在彼微妙安樂國 無量佛子衆圍遶
  願共諸衆生 往生安樂國

【2】 南無至心歸命禮西方阿彌陀佛
  金色身淨如山王 奢摩他行如象歩
兩目淨若青蓮華 故我頂禮彌陀佛
願共諸衆生 往生安樂國
(【3】以下省略)
注:礼拝句=南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
願生句=願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。

⑷ 十二礼①②の大元の原文③(大正新脩大蔵経 所載)《SAT No.1963 迦才撰『浄土論』▲
=これが龍樹自身の原文に代わるもの):
 T1963_.47.0096b29:
如禪那啒多三藏。別譯龍樹讃禮阿彌陀佛文。 有十二禮。
至心歸命禮西方阿彌陀佛
稽首天人所恭敬 阿彌陀仙兩足尊
在彼微妙安樂國 無量佛子衆圍遶
  願共諸衆生 往生安樂國
金色身淨如山王 奢摩他行如象歩
兩目淨若青蓮華 故我頂禮彌陀佛
  願共諸衆生 往生安樂國
・・・(後略)・・
以下は、各偈に繰り返し
 願共諸衆生 往生安樂國
が付いている点だけが原文①と異なる。他の偈文は①と同じ。

※➊原文①は、読誦しやすいように整理編纂してあるが、その元である原文③迦才の『浄土論』中の「十二礼」(これが龍樹の原文) や、それを引用した善導の『往生礼讃』② を知っておく必要がある。願生思想がより 強く現されていることに注意すべきだ。
 
 原文③迦才の『浄土論』中の「十二礼」
冒頭に
   ア 至心歸命禮西方阿彌陀佛
とある。
     また各偈はそれぞれ
    イ 故我頂禮彌陀佛(第十二偈にはない)
     願共諸衆生 往生安樂国
で終わっている。
    善導の『往生礼讃』では、さらに各偈の前に
    ア をつけ、 イ 故我頂禮彌陀尊(佛を替えてはいるが)と共に阿弥陀仏信仰・願生思想を強めている。
 ❷本願寺派の『十二礼』の節は、真宗教団連合の「和訳正信偈」に依用されている。
   大谷派では、第一偈
  稽首天人所恭敬 阿弥陀仙両足尊
  在彼微妙安楽国 無量仏子衆囲繞
を伽陀(第一)として用い
 第十二偈
    我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水
    所獲善根清浄者 回施衆生生彼国
を回向(逮夜勤行の後)に用いる。