SC 親鸞聖人の仮名

 親鸞聖人が和讃を書かれたときの「仮名」はカタカナであり、他の書籍(唯信抄・尊号真像銘文・一念多念文意など)の仮名もカタカナであるが、
唯一「唯信抄ひらがな本」もある。

「㈢ 専修寺蔵 ひらがな本
 親鸞聖人は、門弟との往復書簡は平仮名で書かれたけれども、書籍や法語などを記す場合の仮名は、すべて片仮名を用いられた。その中に
あって、文歴二年書写の『唯信鈔』だけが例外的に平仮名を使用されている。 しかもこの書は、聖人六十三歳の筆跡であることが明確であって、
聖人の筆跡の年代判定に需要な基準とされる点から、貴重視されている。聖人真蹟のうちで、年代の明確なものは、八十歳台には多いけれども、
六十歳台ではこの書が唯一のものだからである。」(平松令三 解説) (『親鸞聖人真蹟集成』第八巻)。

☆そうであるのに、現在の『真宗聖典』類は、和讃や和語の書籍がみなひらがなになっている点は注意(警戒)すべきである。
 『真宗聖教全書』までが全部平仮名である。 辛うじて、柏原祐義編の『真宗聖典』の和讃だけは片仮名。(但し和語書は平仮名。)

☆【ネット】豆知識✏どうして「ひらがな」と「かたかな」が生まれたの?
 私たちは普段、漢字、ひらがな、かたかな、アルファベット、数字などの文字を使って日本語を読み書きしています。
 中でも、「ひらがな」と「かたかな」は日本語で使う音を表した「表音文字」で、「表意文字」である漢字から生まれた日本語特有の文字です。
 そもそも、同じ音を表す文字がなぜ2種類あるのでしょうか? ひらがなとかたかなの誕生の秘密を探ってみましょう。
.日本語の音を表す漢字「万葉仮名」
 漢字は、今から2300年ほど前の紀元前3世紀ごろに、今の中国から日本列島へ初めて伝えられたと言われています。 日本列島にいた人々は、
自分たちの言葉と同じ意味をもつ漢字を当てはめることで、ものごとを書き表せるようになりました。
 しかし、もともと中国の言葉を表す漢字だけでは、日本の言葉を十分に書き記すことができませんでした。そこで、漢字を本来の意味とは切り
はなして、その音だけを借りることを考えました。 こうして使われ始めたのが、「万葉仮名」です。
 万葉仮名は、漢字を使って日本語の音を表したもので、いわゆる「当て字」です。万葉仮名がいつ考え出されたかについては、詳しいことはわ
かっていませんが、7世紀ごろであろうと言われています。
 8世紀に成立した『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などでは、万葉仮名が使われています。
 ひらがなとかたかなは、この万葉仮名から誕生しました。

.ひらがなの誕生
 万葉仮名は、1つの音にいくつもの漢字を当てたため種類が多く、また形が複雑で書くのが難しいものもありました。そこで生まれたのが、
「ひらがな」です。
 ひらがなは、万葉仮名をくずして簡単にした文字で、9世紀ごろから使われるようになったと言われています。
.当時の貴族社会において、男性が公的な場面で用いるのは漢字であり、ひらがなは主に私的な場面で、あるいは女性によって使われる文字
とされました。
 ひらがなは、主に手紙や和歌、物語、随筆などに用いられ、女流文学が花開く契機となりました。ひらがなで書かれたこの頃の文学作品には、
紀貫之が女性を装ってつづった『土佐日記』(935年ごろ)、清少納言の『枕草子』(1001年ごろ)、紫式部の『源氏物語』(1008年ごろ)などがあ
ります。

.かたかなの誕生
「かたかな」も、ひらがなとほぼ同時期に万葉仮名から生まれました。
 ひらがなが万葉仮名をくずしたものであるのに対して、かたかなは万葉仮名の一部分を抜き出したものが起源とされています。
.僧侶の間で読まれていた経典は、全て漢文で書かれていたので、僧侶たちは行間に読み方などのメモを書き入れていました。
その際、形の複雑な万葉仮名では狭い行間に書き入れるのが難しいため、9世紀ごろから万葉仮名の一部だけが書かれるようになりました。
これが、かたかなの始まりと言われています。
.
(出典 聞法ノート)
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