SC 左義長

昔、中国で仏教と道教との競合があった。或時、朝廷の前で両教の経典をそれぞれ右、左に積み、火をつけ、燃え残った方を勝れたりとすることになる。結果、左(仏教経典)が残る、そこで朝廷、「左の義、長じたり」(左義長)といった。
 仏教の経本の表紙が赤いのは、燃え残った名残りである。
(出典 宏壽 伝聞『聞法ノート』より)
【キーワード】仏教 道教 競合 左右
   左義長 焚経 焼け残り 経典 赤色系
 
参考 
(左義長の起源)
中国において、明時代(557年)に仏法が印度から伝わった。明帝は、五岳の道士等を集め仏教と道教の術比べを行った。(斜字不審)
(参照:『仏教史年表』
  554年 北斉文宣帝、釈道二教を問う。
  555年 北斉、道教を廃す。)
その術比べとは、1つのテーマを与え問答を行わせるものであった。ところが、仏教が勝ち、明帝は「左義長れり(さぎまされり)」と仏教
を賞賛したと伝えられており、以来、仏教は唐土左義長と言われるようになった。
(わが国の差義長)
 「左義長」は、もともとは平安時代、宮中で行われた火祭り行事の呼び名で、御所の清涼殿南庭に青竹を三本立て、それに扇を結び付けて燃やし、短冊、古書や書初めなどを焼いたといわれる。これは正月15日に行われたと伝えられている。
<(ネット)大磯の左義長の内容説明 より>