SC 蓮位のこと

☆蓮位(れんい):『交名牒きょうみょうちょう』に「洛中居住弟子」と註してその名が見える。帰洛後の聖人の側近に侍した。本願寺坊官下間しもつま氏の祖といわれる。(消息 P.762, 御伝鈔 P.1046)。

☆源頼政の孫。浄土真宗。親鸞の高弟でその臨終をみとった。また親鸞真筆の「教行信証」(坂東本)を伝授された。本願寺坊官としてのちに権勢をふるった下間(しもつま)氏の祖とされる。弘安(こうあん)元年7月23日死去。俗名は下間宗重。
 
☆京都の門弟―蓮位
蓮位は「洛中居住弟子」と記されるが、もと下妻小島に在住し、京都に戻って以降の親鸞のいわば秘書役のような存在で、下間蓮位ともいい、その後の本願寺坊官下間の祖といわれる人物である。
 坂東本『教行信証』の『証巻』と『真仏土巻』の表紙には「釈蓮位」と記され、この2巻が蓮位に付属され、その後この2巻が性信のもとで『坂東本』になったことは、横曽根門徒の性信と蓮位との間の関係を示しており、また2人が善光寺信仰、太子信仰を奉じる太子堂の堂守、道場主であったり、地域的にも性信のいた飯沼と蓮位がいた小島は鬼怒川を挟んだ所に位置しているところから、両者の親密な繋がりが知れる。
 蓮位は門弟として、側近として親鸞の声(思想)をどのように聞いたのであろうか。
 蓮位の聞き取りの異同性の一端に触れたい。
 覚如の『口伝称』13には、蓮位を、
蓮位房 聖人(親鸞)常随の御門弟、真宗稽古の学者、俗姓源三位頼政卿順孫と記し、蓮位の夢告について次のように述べている。
 建長八歳 丙辰 二月九日の夜寅の時、釈蓮位、夢に聖徳太子の勅命をかうぶる。皇太子の尊容を示現して、釈親鸞法師にむかはしめましまして、文を誦して親鸞聖人を敬礼しまします。その告命の文にのたまはく、「敬礼大慈阿弥陀仏 為妙教流通来生者 五濁悪時悪世界中 決定即得無上覚也」文。この文のこころは、「大慈阿弥陀仏を敬ひ礼したてまつるなり。妙なる教流通のために来生せるものなり。五濁悪時・悪世界のなかにして、決定してすなはち無上覚を得しめたるなり」といへり。蓮位、ことに皇太子を恭敬し尊重したてまつるとおぼえて、夢さめてすなはちこの文を書きをはりぬ。
ここで、親鸞面授の人々「蓮位、ことに皇太子を恭敬し尊重したてまつる」とあるように、蓮位は聖徳太子の信奉者であったことが分かる。
 この蓮位の夢告については同様のことが覚如『御伝鈔』上第4段にも記されている。さらに『口伝称』6には、同行弟子の信楽に対する処置を巡っての蓮位に関する記述がある。
 京都の親鸞を訪ねた信楽が、法文上の意見の違いで親鸞の教説を用いず、咎めを受けて帰国しようとした時に、側近の蓮位は、「信楽坊の、御門弟の儀をはなれて下国のうへは、あづけわたさるるところの本尊・聖教をめしかへさるべくや候ふらん。」と親鸞に進言した。これに対して、親鸞は、
「本尊・聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なればみなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すとみえたれば、まつたく親鸞が授けたるにあらず。」 「本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて他の門室に入るといふとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は総じて流通物なればなり。」などと述べて蓮位の進言を退けた。蓮位の進言には「本尊や聖教」を門弟の儀にかかわる証しであるとする考えや、「親鸞の弟子」と自認する思い、そして「人師」と仰ぐ
姿勢が見られよう。
 また、慶信(1)が親鸞に宛てた法義を問う書状に、進上聖人(親鸞)の御所へ 蓮位御坊申させたまへとあり、病中の親鸞に替って代筆した蓮位のことが知られる。親鸞は蓮位に代筆を命じたが、蓮位は、「御自筆はつよき証拠におぼしめされ候ひぬ」
と考え、病中の親鸞に自筆で慶信書状を添削し、かつ手紙の余白に文を認めてもらい、添え状を認め慶信に送り返した。
 ここにも蓮位が、「御自筆はつよき証拠におぼしめされ候ひぬ」との考えがあり、先の進言を重ね合わせて考えると、蓮位は親鸞の側に付き添いながら、本尊や聖教を取り返すことを進言し、あるいは「御自筆は強き証拠」との思いが内在していた。それは「当世」の在り様として見られても、親鸞においては「然るべからず」ことであった。
そこに蓮位の異同性を見て取れよう。(赤松撤真)
〔注〕
(1) 下野高田に住む門徒、覚信の子。
 

☆蓮位房、霊夢を見る
 『御伝鈔』上巻4段や、『口伝鈔』13条の蓮位房の霊夢を記しておきましょう。
 建長8年の春、親鸞聖人は84歳のご老体で、いささかご病気がちであった。聖人昵懇のお弟子・蓮位房と顕智房がご看病申し上げることが多かった。
 そんなある日、蓮位房が尋ねた。
「顕智房殿、あなたはわが聖人を、いかなるお方と思っておられますか」
「私は、まさしく仏のご化身と信じております」
キッパリ、顕智房は答えたが、どうも蓮位房は、即座に同意しかねるようだった。
 「私もある時は、そう感ずることもありますが、ある時はどうだか、そうでもなさそうに思えることもあります」
 正直な告白に顕智房は、微笑しながら確信ありげにささやいた。
 「そう思われましょうが、そのうちにきっと、お分かりになりますよ」
 ところが2月9日の未明、蓮位房は明らかな夢を見た。聖徳太子が親鸞聖人を礼拝して、こうおっしゃっているではないか。
 「私は、大慈大悲の阿弥陀仏を敬って、礼拝いたします。あなたは、微妙の教法を、この五濁悪世界に弘め、あらゆる衆生に、必ず無上覚を得させるために、来生なされた尊いお方であります」
 夢覚めた蓮位房は驚いた。
 さては、わが聖人は阿弥陀仏のご化身であったか、いままで、さまで尊く思わなかったことのあさましさよと、感泣した。
 それにしても、顕智房は不思議なことを言う人よ。
 この人もまた、ただ人ではなさそうだと、驚いて語ったといわれています。
 これらの霊夢や、「観音の化現」と「弥陀の化身」の相違について、覚如上人は次のようにおっしゃっています。
 「祖師聖人あるいは観音の垂迹とあらわれ、あるいは本師弥陀の来現と示しましますこと明らかなり。弥陀・観音一体異名、ともに相違あるべからず」(口伝鈔13条)

(出典 ネットで「蓮位」検索した資料)
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