SC 提婆の保守主義

提婆 釈尊の仏教教団に反対し、五つの要求
   (保守的、厳しい沙門生活 例 生涯樹
    下生活、生涯菜食など )を出し、釈
    尊に拒絶されたので、教団を出た。(5
    百人の弟子をつれて・・・これは舎利
    弗などが取り戻した。)

5世紀、7世紀の法顕、玄奘が入竺し
    たころ、提婆集団が存したという。

(出典 奈良康明 放送?)

【キーワード】 提婆 保守主義 釈尊
        中道 樹下生活 精舎生活
        浄肉 

補注 提婆は釈尊の従弟である。

備考
①釈尊は樹下の沙門生活よりも、精舎に住む教 団を許した。

2-1-4 ビンビサーラと竹林精舎
 カッサパ三兄弟を教化したことで、釈尊の名声が一挙に上がり、マガダ国の都ラージャグリハ(王舎城)へ入る。
 そこで、ビンビサーラ王が憂婆塞となり、竹林精舎を寄進する。(王はかつて出家してマガダにやってきた釈尊を見て、その風格に心打たれ家臣になるよう求めたという。)
 竹林精舎は、まさに竹林にあった。
 精舎(ヴィハーラ)とは、雨季に比丘が寝泊りするために建てられた木造小屋のこと。

 ⇒釈尊や比丘は、樹下石上の生活といって、洞窟などで雨露をしのぐのがふつうであったが、ビンビサーラ王は見るに見かねて雨季だけでも利用するようにと寄進した。釈尊はそれを拒まず、雨季だけであったが、比丘たちに使用を許した(雨期が終わると解体し翌年にまた利用)。のちに諸所に作られたというが、釈尊もここを特に好んで用いたという。
 釈尊は竹林精舎を次のように言う「村から遠からず近からず、往来に便利で、望む人には行きやすく、昼は騒がしくなく夜は人声少なく、人が多く来ることもなく、わずらわせることもなく、瞑想に適する」  (奈良康明訳)

②釈尊は浄肉をゆるした。
  三種の浄肉とは、初期仏教の僧が托鉢の際、自らが戒律中五戒の不殺生戒を犯さない布施の場合は肉食してよいというもの。
 その条件は、次のとおり。

殺されるところを見ていない
自分に供するために殺したと聞いていない
自分に供するために殺したと知らない。 
 (見聞知)
・肉食を禁じたのは中国仏教以降
             (奈良康明)