SC 仏の十号

  無量寿経で、「五十三仏」のあといわゆる「如来の十号」が出てきます。例えば、東『聖典』では:

 その時に次に仏ましましき。世自在王、如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と名づけたてまつる。

  となっています。ここは「如来の十号」だと言われているので数えてみると、如来から世尊までで十一号となるので、若いときからなぜかと疑問に思ってきました。
 そこで諸本を調べてみると、3種の扱い方がありました。
 ⑴十一号のまま
   ・『大正蔵経』 ・『真聖全』 ・東『聖典』  ・高田『聖典』
 ⑵どれか2つの号を1つにまとめて十号とする
   ・柏原『聖典』:「無上士調御丈夫」を1つとみる
   ・中村『仏教語』:最後の「仏世尊」を1つとみる。(それを分けて十一号とすることも認める)
 ⑶ 最初の如来は数えないで「応供」以下で十号とする
   ・西『聖典』 ・多屋『仏教学』 
   ・『真宗新辞典』 
    …最初の「如来」は総名。「応供」以下はその徳を表す「徳名」である。
 どうやら、⑶の説明が分かりやすいと思いましたが、因みにSATで大蔵経全体を検索した結果、驚きました。
   a)「如来 應供 等正覺 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 佛 世尊」(句点なし)
     ・・・14経(華厳経、無量寿経、大阿弥陀経、大般泥洹経など)
   b)「如来 應供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 佛 世尊」(句点なし)
    ・・・289経(妙法蓮華経、大般涅槃経、大集経、悲華経など)
  いずれも、この「十号」の中に句点はついていません。中をどう数えるかは別として、a) b)ともにそのままで「十号」として伝来されたようです。しかも
   c) 「十号」で検索すると、845件も上がってきて、その中
                  289件は「十号具足」となっています。
     例:「若出家學道。當成正覺。十號具足。時。諸相師即白王言。」(長阿含経)
 ☆結論としては、十号の「分別」に走らず、十号のお徳を具足された仏(覚者)に帰依することこそ大切なのだと学ばせていただきました。





        
(出典 筆者 書名等)
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