SC 八月八日初転法輪(二月八日?成道)

 「四月八日は花まつり お釈迦さまのご誕生日」と歌い、「十二月八日はおさとりの日(成道会)」「二月十五日はご涅槃の日(涅槃会)」と日曜学校で教えており、それが常識だと思っていた。

A)ところが、四大仏跡の一つサルナート(鹿野苑)での「初転法輪」の日はないのですか?と聞かれ、SATで検索してみると
「八月八日初転法輪」
   という文例がいくつも出てきた。
①【四分律行事鈔資持記(No.1805)】     宋 釈元照(1048~1116) 
 「一年四日釋門時節。二月八日成道。二月十五日涅槃。四月八日降生。八月八日轉法輪。」
②【華厳五教章見聞鈔】(No.2342) 華厳宗 東大寺 凝然 (1240~1321)
 「僧儀篇云 二月八日成道。二月十五日涅槃。    四月八日降生。八月八日轉法輪。轉法輪日者準  四分。」
③【資行抄】(No.2248)照遠(1301~1361)
  「尋至鹿野。更四月調機。將此添二月八日。即八月八日轉法輪

これで「八月八日初転法輪」という説があることは明かである。

B)ところが、上記①、②に出ている
  月八日成道
は、現在の我々の常識
 「十二月八日成道
  とは異なる。これをさらにSATで検索すると、「十二月」と誤読できる例が二つ出てきた。

➃【歴代三宝記】(#2034)中国 隋   費長(581ごろ)<誤読しやすい例> 
  「年三十。二月八日明星出時。朗然覺悟。」
 <「年三十」は釈迦の年齢のこと。その「十」と次の「二月」とが原文(白文)では続くので、「十二月」と誤読する可能性がある>
⑤【教時諍】(2395A )安然(天台  台密完成者 841~915)
 「年十九四月八日出家。年三十二月八日成道。」 
<⑤は➃ の写しらしい。ここでも「十二」と誤読しやすい。
   どうやら、中国では「二月八日成道」が源流であったようだ。次例⑥参照。
⑥【景徳伝灯録】(No.2076)道原 北宋代 禅宗を代表する灯録(1004年)
「釈迦牟尼仏…生 四月八日…二月八日明星出  時成仏 時年三十矣…入涅槃 二月十五日也」

C)それが下記のように「十二月八日(臘八)成道」となっている例がSATで何件もある。
⑦【如淨和尚語録】(No.2002A)
(1163~1228) 中国 曹洞禅
「四月八日上堂…二月十五上堂 不生不滅…
   仏成道上堂 瞿曇臘月八夜半走出山賊」
⑧【虚堂和尚語録】(No.2000)
(1185~1269) 南宋 臨済禅
「臘八上堂僧問釈迦大師…臘月八夜忽観明星   悟去還端的也」…
⑨【正法眼蔵】<#2582>道元(1200~1253)
 「降生ヨリ三十歳。十二月八日ニ成道ストイヘトモ七佛已前ノ成道ナリ。」
<「降生ヨリ三十歳」は➃、⑤、⑥の説に従っているが、成道は⑦、⑧に倣い「十二月八日(臘八)」としている。道元が渡宋して学んだからであろう。
⑩【続伝灯録】(#2077) 円極居頂(?~  1404:元 末の人)
 「我大覺世尊。昔日於摩謁陀國。十二月八日明星現時豁然悟道。」
<「明星現時豁然悟道」は➃の文例に酷似しているが、「二月八日」はなく、 ⑦、⑧のごとく「十二月八日(臘八)」 のままである。

 以上からすると、中国の禅宗の歴史の中で11世紀の景徳伝灯語録の(二月八日成道)が、1213世紀の如淨語録の(十二月八日・臘八成道)に変わったことになる。その変化の時点、いつ、誰であったのか、興味が湧く。

 ともかく、如淨以後の禅宗では「臘八」に定着した様である。如淨に師事した道元以降の日本の禅がその流れにあることは当然である。

   しかし、鎌倉時代、華厳宗 東大寺の凝然14世紀)は「二月八日成道」説を取っている。

☆【まとめ】
①での「釈門時節」というのは釈尊の生涯での四大事:降誕、成道、初轉法輪、涅槃の四つの日のこと。『四分律』という経典での説が挙げられている。
  因みに南方仏教では「ヴァイシャーカ」(ウエサク)といっ て、降誕、成道、涅槃をみな2月(太陰歴?)の満月の日に当てお祭りをするという。
  要するに2500年昔の釈尊の生涯の事項を厳密に年月日特定することは今や不可能であるから、各国、各宗派は、受け継いだ伝統に従う他ない。      
ただ、今まで当然と思っていた「
十二月八日成道」に対して「二月八日成道」説があったこと、中国の同じ禅宗の伝灯の中で「二月八日」「十二月八日」に変わった経緯は何か(ひょっとして漢文文字列の「誤読」ではなかったか?)と興味が湧いている次第です。
  仏教史に詳しい諸賢のご見解をお聞きできれば幸甚です。 以上

☆(出典 SAT 大正新脩大蔵経データーベース
    他。聞法ノート)
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