RI 念仏は日に何度? 顕智が親鸞聖人に問い

五木寛之 『親鸞』完結篇(下) 352頁
    
〈如信はいくつになっただろう〉と、親鸞は思った。いま二十四歳か二十五歳ぐらいではないか。幼いころから、思いやりのある素直な子であった。柿の不からわざと落ちて怪我をしたのも、両親への大人びた配慮からだったことを親鸞は知っている。
 父親である善鸞の東国での振舞いを、如信はどのような思いでみていたのだろうか。奔放な母と、野心を抱いた父とのあいだで、さまざまに心を砕いている若者の姿を親鸞は思い浮かべた。
〈如信といちど会いたい〉親鸞は心の奥でつよくそう思った。それは肉親としての感情とはちがう衝動だった。父、善鸞をささえて生きる暮らしのなかで、如信がどのように念仏を考えているだろうか、という疑問からで
ある。
 子供のころから身近に接し、つねに親鸞が人びとに語る言葉も耳にして育った如信である。善鸞とはおのずからちがう考えも心に抱いているはずだ。それを抑えて、善鸞とともに東国に生きるのは、さぞかしむずかしいだろう。
 しばらく黙りこんで考えにふけっている親鸞に、顕智が遠慮がちに問いかけた。
「ひとつ、おうかがいしてもよろしゅうございますか」
「なんなりと」
 顕智は思いきったような口調できいた。
「伝えきくところでは、法然上人は絶えず念仏をとなえておられたとか。それこそ廓の中でも念仏されて、日に何万回にもなったとうかがいました」
「そうであった。息をなさるように念仏申されておられたのだ」
「こんなことを申しあげるのは、おそれおおいことですが、親鸞さまは、日に何度ぐらい念仏されるのでしょうか」
 親鸞は思わず笑った。
「わたしは、ああ、ありがたい、と思うたびごとに念仏しているのだよ。つとめてする念仏ではない。思わず知らず、ふっと、ああ、ありがたい、と思う。そうすると自然に念仏が口からこぼれでてくる。多くても、少なくても、つとめてする念仏ではないのだ。この親鸞には親鸞の、顕智どのには顕智どのの念仏があろう。それでよいのではないか」

五木寛之 『親鸞』完結篇(下) 353頁

親鸞の言葉を心に刻みつけるようにききいっていた顕智が、ちいさく頭をさげて、南無阿弥陀仏とつぶやいた。それに応じるように親鸞が、南無阿弥陀仏、とうなずいた。そしていった。
「わたしの言葉を素直にうけとってくれて、ありがたいと思う。念仏の念とは、しいて何かを祈ることではない。心に浄土の世界を思い描くことでもない。また念仏の念とは、形あるものでも、姿あるものでもない。念仏とは至心信楽の心からわきでてくる自然の声だと感じておる」
「自然、でございますね。おのずからしからしむ、の意だとお教えいただきました」
「そうだ。わたしは若いころ、比叡山で学んだ。ひと一倍の努力もした。そして多くの知識を身につけた。しかし、法然上人は、人は愚者になりて往生す、といわれていた。いったん智者の世界に身をひたした者が、その垢を洗い流し、愚にかえることは容易なことではない。わたしが、多くの文章を書きしるしたのは、おのれの智をあらわすためではなかった。それらの知識を、残らず捨て去るためだったのかもしれぬ。しかし、それはできなかっち自力で愚にかえろうといくらあがいても、無理なことなのだ。だがー」
 親鸞は言葉をきって、かすかに微笑した。
「いまのわたしは、おのずと愚にかえろうとしているようだ」
 顕智がごくりと唾をのみこむ音がきこえた。
「大事な経典の言葉が思いだせぬ。書名も、人名も、遠くにかすんでいるかのようだ。かつては目を閉じていても、ありありと流れるように目にうかんだ経文が、どうしてもでてこない。人はこれを年をとって耄碌したのだというだろう。しかし、それはちがうのではないかと思う。わたしはいま、みずからの計らいではなく、他力の計らいによって自然に愚にかえりつつあるのだよ」
 親鸞は自分の声につよい確信の響きがこもっていることを感じて、思わず自分の手をにぎりしめた。
「わたしはおのずと愚者への道をゆきっつある。なんというありがたいことだろう。法然上人のいわれたように、わたしはたしかに往生するのだ。それを思うと感謝の念で胸がいっぱいになる。そして南無阿弥陀仏、と自然につぶやいてしまうのだ」
 顕智はあふれる涙を手でぬぐった。そして、南無阿弥陀仏、と、小さくつぶやいた。

(出典 五木寛之 『親鸞』完結篇(下)
        講談社 2014年)
  五木寛之(1932年福岡県生まれ
   早稲田大学文学部ロシヤ文学科)
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