RE ただ念仏のみぞまこと

 平成十年十一月十一日私の一人息子が、三十六歳を一期として亡くなった。
その臨終に立ち会ったが、激痛の中で最後まで生きることへ執念であった。聖人の仰せのとおり「臨終の一念まで私たちの煩悩は、消えず去らず止まる乙とはない」
 私は最後には「もういいよ、よく頑張ったな。おじいちゃん、おばあちゃんと会えるお浄土に行くのだよ」と云ってやる心算だった。出ない。最後まで死ぬなよ、生きろ、生きるんだと叫びつづけていた。
 また息子が「一足お先に、嫁のことや孫のことよろしく頼むよ」と言ってお念仏申しながら、息を引とることを願っていた。が、テレビのようには、そして芝居のようにはいかない。「痛い、痛い、苦しい」が絶句であった。
 宿直の医師が来てくれた。子供の容体を見ながら私を廊下に連れ出した。
 「お父さん、特別室に移しましょうか」
 「特別室に入れたら助かりますか」
 「いえ、もう助かるということはありません。あと三十分程命を延ばすことはでき  ます」
 「こんなに苦しんでいる病人を、あなたはまだ三十分も生かすのですか」
 「ハイ、それが医師の仕事です」
 「もういいです、これ以上、子供の苦しむ姿を見ることはできません」
 「それなら痛み止めを打ちましょうか」
 「おねがいします」
 モルヒネが点滴によって身体に浸みこんでいった。二分もせぬうちに、あ
れだけ苦しんでいた息子の表情に何とも云えぬ安らぎが浮かんだ。酸素マス
クをしていたが、呼吸は止った。近くに居た妹が「兄ちゃんどおしたの」 
 ハーと一息吐いて息子は息絶えた。
 私は息子の手に念珠をかけて静かに「お正信偈」をおつとめした。臨終勤行である。
 医師も看護士もみな合掌して息子の旅立ちを見送ってくれた。それぞれ宗教もちがい、思想も異なるだろう、井伏鱒二が云った、「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」
 去る者を見送る。人間で一番美くしい姿だと感じた。
 心電図が止まったのだろう。医師のおごそかな「ただいまご臨終です」
 みな泣いた。小さい時から私の隣りに坐ってお正信偈をおつとめした。今、臨終に息子はどんな思いで、正信偈を聞いたのだろうか。
 アッという間にすべての医療器臭が片ずけられた。遺体は洗われるのだろう。どこかに連れていかれた。ガランとした病室を眺めながらこれが人生の終りなんだと云い聞かされた思いだった。
 暫らくして嫁が帰って来て「お父さん、どうします。病院が解剖させてくれと云います」、「あんたはどうなんだ」。
 「私は嫌です。最後迄あれ程苦しんだのにこの上、痛い目辛い目にあわさせたくはありません」
 「二十万人に一人という小腸の癌だったのだ。解剖することによって死因がはっきりしたら、後の同じ癌患者の参考になりはせんか。聖人も某(それがし)、親鸞閉眼せば賀茂河に入れて魚にあたふべしとも、云っておられる」
 嫁も聞き入れて三時間に及ぶ解剖もすんだ。
 自坊に帰って息子に云った。「おーい、もう病院に行かなくてもよいぞ」
 見舞の方々がいろいろと声をかけてくださる。私は、「ハイ婆婆のことでございますから」とこたえていた。しかしその後から「無念だな、残念だな、かわいそうなことをしたな」という思いが絶えることなく湧いてくる。
 シャバのことですというのは仏智であろう。無念なりというのは凡情であろう。その狭間(はざま)と矛盾を包んで如来さまは「そのまま」と仰言るのであろう。聖人は「ただ念仏のみぞまこと」と教えてくださるのであろう。

(出典 足利孝之『倶会一処、ただ念仏して』  百華苑 平成26年度用 冊子)
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