RE 「参らせてもらうでな」

 鯖江仏教一心会の生みの親とも云うべき上杉思朗師は大正2年愛知県安城の農家二村家に生まれた(幼名四郎)が、後日大谷大学研究科を卒業され、『解読淨土論註』などを著された。その求道心の発端に父母の信心があった。
 師が16歳のとき、父が重篤になる。母が耳もとで「行先は大丈夫かの」と聞けば「参らせてもらうでな」と安心(あんじん)の答えであった。彼は平生から「人間はしっかり聴聞して二度と迷わぬ仏にさせていただくために生まれたのだ」と
云い、安心の人であった。
 この父の死で、思朗師は仏道探求のため大谷大学研究科へ進学されたという。
 師の33歳(1945年)、年末帰省を終えて京都に戻る師を、老母が安城駅まで見送る道すがらこういった。「わたしはいつどこで死んでもお浄土に参らせてもらうから、心配せんでいい。貴方はしっかり仏法を学んでおくれ」と。そして奇しくも三日後(1月13日)三河地震で家は倒壊し、母と妹が犠牲になったという。、
 これを機縁に上杉思朗師はますます仏道探求に、そして布教に専念された。先述の主著など数編の著述の他、鯖江仏教一心会の生みの親となり、昭和32年~平成8年、36年余来講教化された。特に暁天講座(7月24~27日早朝5時から)は盛会(最多参詣は1300人)であったと記してある。
 このような思朗師の法門弘通大活躍の発端が、ご両親の「参らせてもらうでな」であったー身業説法であったことは特記に値する。 

(出典 聞法ノート)
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