RE つかまった手に銃剣

太平洋戦争の末期、中国大陸に展開していた陸軍部隊は激戦の続く南方に転進することになった。戦争末期、アメリカ海軍の潜水艦は日本近海で自由に行動しており、次々に日本の艦艇を沈めていた。
 事務長さんの乗った輸送船も攻撃を受けて沈没する。救命ボートの数が足りず、海上に投げ出された者はみな必死だった。事務長さんは幸いにも救命ボートに乗り込むことができたが、ボートには定員をはるかに超える人が乗り、船べりすれすれまで海水がせまっていた。
 もう一人も乗せることができない状態だったが、漂流する兵隊はそれぞれ救命ボートを目指して泳いでくる。事務長さんは、「どうかこのボートには来ないでくれ」と願っていたが、一人の兵隊がボートに泳ぎ着いて船べりに手をかけた。ボートは大きく傾き、転覆しそうになった。
 このままでは、いまボートに乗っている40 名の命が危ない。そのとき、ボートの真ん中あたりに座
っていた将校が、船べりにつかまった兵隊の手を銃剣で突き刺した。
 たまらず手を離した兵隊は力尽きて海中に沈んでいった。将校の行為は大勢の兵隊を救った緊急避難行為であり罪にならない、あの状況では仕方
がなかった、将校は命の恩人と考えることができる、と頭では理解できても、事務長さんはそのとき海中に消えていった兵隊の顔をどうしても
忘れることができない。

(補説)
私が勤務する京都女子大学では、宗教の授業で月に一回、いろいろな人のお話を聞くことにしている。いまから20 年前、大学の事務長さんが自身の戦争経験を話された。
 事務長さんが輸送船での出来事について話しをされたのは後にも先にもこの一回だけだったと
いう。
 仏教は自己を問題にする。この私を問題にするのが仏教である。「私だったらボートを降りて、あとの人に乗ってもらいます」と、教室の中でいくら言ってもそれはきれいごとに過ぎない。仏教はこうした議論を「戯論(けろん)」といって退ける。極限
の状態になったら、私のもっとも醜いものが出てくる、ということを教えるのが仏教である。自分を問題にしなかったらヒューマニズムに陥ってしまう。 昨今、宗教がいつのまにかヒューマニズムに、きれいごとになってしまっているように思われる。真宗者は、信心を通してしか倫理を語れない。機の深信を通してしか、社会正義、社会倫理を語れないのである。
 われわれは、社会の問題と無関係で生きていくことはできない。だから、信心の社会性ということも、私自身はさまざまな問題をどう考えるかという視点で捉えなくてはならない。社会正義や社会倫理の問題として考えて、高所から論ずるようなことをしてはならないのである。

(出典 徳永一道 【念仏者の倫理の可能性    ―キリスト教の「正義」との対比において     ―】 )
【キーワード】 極限状況 さるべき業縁
 人間の本性 自己保身 救命ボート 満員
 社会正義 ヒューマニズム
(参考)  
 (2004年8月27日読売新聞
  「月日あれこれ」に寄稿)

「撃沈 雪の海漂う兵たち」
                吉村 昭 
 三十四年前、北海道の襟裳岬の近くの漁村におもむいた。当時、私は戦記小説を書いていて、ある医療機関の要職にある方から、その漁村の沖合で、終戦の年の早春、将兵多数を乗せた輸送船がアメリカ潜水艦の雷撃を受けて沈没したという話をきいた。
 その折に沈没後、海に投げ出された兵たちが、おろされた上陸用舟艇にわれ先にしがみつき、舟艇に乗っていた将校たちが、舟艇が沈むおそれがあったのでそれらの腕を斬った。その話をしたのは船に乗っていた将校の一人だという。
 私は、事実かどうかたしかめるため、札幌に一泊後、その漁村にむかい、村役場に行った。
 終戦直前、輸送船が撃沈されたことは吏員も知っていて、海に投げ出された兵たちの救出につとめた漁師の名を教えてくれた。
 漁師の家は海沿いにあって、その日、海は荒れていたので漁師は家にいた。
 囲炉裡のかたわらに座っている老いた漁師に挨拶し、名刺を差し出した。漁師は受け取ると、裏を返した。私の名刺には肩書がなく、裏に書いてあるのだと思ったらしい。私は、新聞に連載小説を一度書いたことがあるだけの、無名に近い小説家であった。
 私は、輸送船の沈没のことを口にし、将校が兵の腕を斬ったのは事実なのですか、とたずねた。
 漁師は、私に険しい限をむけると、
「その話なら、しない。憲兵に口どめされているから……」
と、言った。
 終戦後すでに二十五年もたっているのに、漁師は依然として戦時に身を置いている。
 戦争は終わっています、死んだ兵隊さんのことを思ってお話し下さい、御迷惑をおかけすることはありません、と私ほ説いた。
 漁師は、黙りつづけていたが、しばらくして炉の火を見つめながら口を開いた。急に漁師の顔に憤りの色がうかび、言葉の流れ出るのをおさえかねるように話しはじめた。
 村人が初めて輸送船の沈没を知ったのは、海岸に漂い流れてきたおびただしい水死体だった。防寒帽に防寒服、それに救命胴着をつけた下士官、兵の遺体で、
「なぜか知らぬが、腕のないものが多く……」
と、漁師は言った。
 茶褐色の遺体が海面をおおっていたという漁師の言葉に、私はその情景が限の前にうかぶのを感じた。
 降雪中を、漁師たちほ船を出して海面に漂う生きた兵たちを救出し、遺体の収容につとめた。
 なぜ、腕のない遺体が多かったのか。それは救出された兵の口から知ったという。それは軍の秘密事項とされ、憲兵が来て、口外することをかたく禁じた。
 私は漁師の家を辞して、道を引き返した。あたりが暗くなっていて、右手の海岸に波の寄せるほの白い色が、今でも限に焼きついている。
 そのことを医療機関の要職にある方に話したという元将校に、私は会った。上質の背広を着た温和な限をした初老の人であった。
 その方の話によると、千島列島の占守島守備の守備隊員が、米軍の上陸作戦が開始された沖縄救援のため三隻の輸送船に分乗して南下途中、
襟裳岬沖で一隻が撃沈されたという。
 上陸用舟艇がおろされて将校が優先して乗ったが、舟ぺりに多くの兵がしがみつき、沈没が必至になり、それで将校が抜刀した。
「あなたも切りましたか」
 かれは、一瞬黙り、
「私は暗号書を抱いて舟艇の真中に座っていました。靴で敵っただけです」
 と、少し頬をゆるめながら言った。
 私は、無言でうなずいていた。