RE 育ての親

ある伝道院生(26-7歳)の実習法話:
 僕が中学3年のとき。学校の授業で、明日母子手帳をもってこいと言われた。寺に帰って「お母はん、母子手帳出して」と母にいうと、「うちにあったかしら」との返事。なんていい加減なんだろうと思い「先生はだれのお母さんももっているっていってたよ」というが、母は「ちょっと買い物があるから」といって、買い物籠もって出て行ってしまった。その留守に母の箪笥をさがしたら、小物入れから出てきた。何気なく開けてみたらギョットした。母の名前が違っていた。そして写真が2枚でてきた。見知らぬ女の人の写真と葬式の写真が。
 何がなんだか分からなくなり、母子手帳をそこにおいたまま、茫然として自分の部屋にこもる。
 夕食前、お父さんがうろたえて部屋に入ってきて、「ちょっと話があるからわしの部屋にこい」という。「お前、お母さんの部屋へ入って、母子手帳をみたな」(黙っている)「いつか言わにゃならんと思っておったが、お前のお母さんはお前を生んで三日後に死んだんだ。今のお母さんは後からきてくれたお母さんなんだ」(何もいえなかった。ただ一言)「晩飯はいらん」 
 そういって、自分の部屋で、泣けて泣けてしようがない。今までの思い出、全部ウソだったと思うとたまらない。その晩はろくろく眠れなかった。
 朝になると階段の下から母の声「早う起きー」
それで下におりたら朝ごはんができていた。「早う食べ」 食べると「早う学校に行き」 学校に行ったがぼーっとして授業が身に入らない。
夕方家にかえったら、「お帰りー」とお母さん、満面の笑みをうかべて迎えてくれた。お母さんは何にも変わっていない。・・・こうしていつの間にやら元にもどっていった。
 やがて、私が寺の跡継ぎになったとき、母がいった。「中学3年のあのとき、母子手帳を見られたときは本当にうろたえた。一晩寝られなかった。しかし、あの子も寝ていないだろう。ここでうろたえてはだめと、腹に力をいれて、朝ごはんに呼び、学校に送り出した、するとそこで力がぬけそうだったが、帰ってっくると思いまた力を入れなおして迎えたのだ。私もあのときはギリギリに追い詰められていたのだった」と。
 私の母はこうしてギリギリのところで私を育ててくださった、最高のお母さんです。死んだ母の写真も葬儀の写真もちゃんととっておいて
くれた、本当の育ての親でした。

 無始以来どうしようもなく迷ってきた私たちを見捨てずに、お育てくださった如来様なればこそ、今日お念仏を喜ばせてもらえるのです。
 
(出典 備後教区教専寺福間義朝「平成21年勝
縁寺報恩講11月23日日中布教」より)

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