RE 三昧心中
 平成十七年十一月七日、大野市の旧火葬場(三昧)で、焼けて白骨化した老夫(八十歳)婦(八十二歳)の遺体が発見される。炉のそばにエンジンをかけたままの男性の車から、クラシック音楽が流れていた。発見したとき、火はまだくすぶっていた。車内になぐり書きした遺書。「午後八時、妻と家を出る」「炭と薪で荼毘の準備をする」「七日午前〇時四十五分、点火します。さよなら」
 炉の鉄の扉を中から紐で閉めて点火。妻は数年前から重度の認知症。子どもはいない。夫は妻をよく可愛がった。人に頼ろうとしない性格の人だった、と近所の人びと。
 翌八日、毛筆で書いた遺言状が封書で大野市役所に届く。所有財産(自宅、田畑、山林)を全部市に寄付するという内容だった。
        
(平成17年11月12日朝日新聞、39頁)
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     自殺 心中 

《所感》
何ともやりきれない話。人間、「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいをもすべし」なのか。
 親類、友人はいなかったのか。寺には行かなかったのか。市の方へ相談しなかったのか。
こういう人を救済する電話相談窓口はなかったのか。・・・といろいろ思う。
 しかし、究極、人間このようなことにもならんともかぎらない。如何ともしがたい娑婆の様相である。そこにこそ如来の大悲はかけられて
いる。法蔵菩薩の「たとい身はもろもろの苦毒
の中に止まるとも、わが(衆生救済の)行は忍びて終に悔いじ」という悲願がかかっていることを、この夫婦は聞いていなかったのであろうか。
 クラシック音楽が救いだったのか・・・読経
や称名念仏の声ー如来の喚び声ではなく。「よろづのことみなもってそらごとたはごとまことあることなきに」の土壇場になって、「ただ念仏のみぞまことにておはします」唯一の救いに遇われておられたことを念ずるばかりである。