RE 三味線婆ちゃん
 
岡部はる(戸籍 通称 はな)  
 林暁宇『三味線ばあちゃん』東本願寺 より             
「三味線婆ちゃん」(林曉宇談)

 ☆昭和二十六年五月、東本願寺大師堂へ、乞食姿・坊主頭に笠、汚い荷物を持った婆、「これでご本山の借金返してや」と、小銭いっぱいの汚い袋をだす。参拝部員、不審。部長へ、総長(暁烏敏)へと伝わる。暁烏、「今時、珍しい懇志。部屋へ呼べ」
 「その乞食姿で、その金どうした?」
 「昭和二十一年より毎年、吉崎の蓮如忌に、  三味線ひいて念仏唄を歌うと、投銭がくる。  蓮如さんのお徳で上がったお金やさけわて  がもろては罰があたる。ラジオで東本願寺  の赤字財政を知って、もってきた」
 「どんな唄を歌ったのか」
   そこで婆ちゃん肚きめて、思いっきり大きな声で歌ったのが次のような数え歌。

☆一つともせ。 
 人と生れたうれしさを、忘れて暮すも欲のため、取ろう掴もうで日を送る。聞いた、覚えた、信じたと、和上様より高上がり、自慢たらたら暮せども、百までもたぬこの命、死んで未来はどこなれば、一百三十六地獄、めぐりめぐって今は早、八方地獄の釜底で、時を争うて責められる。そんなお方はおまへんかいな。ほら、ザクザクじゃい。
☆二つともせ。
 再び出られぬこの娑婆を、知っていながら野放図に、人の前では善人らしい顔をして、その内心は、人がこけよが倒れよが、我さえよければそれでよし、田地田畑買い集め、土蔵庫建て家を建て、達者自慢で働き自慢で暮らせども、百までもたぬこの命、死んで未来はどこなれば、塗炭地獄に落ちるなり。塗炭地獄の苦しみは、天には業報の網を張り、地には烙印の釘を打ち、
四方四面と申するは、鉄(くろがね)の扉を丁と閉め、その真ん中に罪人を、めったやたらにどし込んで、その扉を閉めるときは、爆弾どころか天地もこだます音がするわいなーーー。
☆三つともせ。
 未来どころかこの世から、三悪道の只中に、暮らしているとも気もつかず、あれやこれやで日を送る。婆さん参ろうと誘うたら、闇に提灯、月夜でなけりゃ。雨の降る日は下駄傘じゃまじゃ。天気よければ洗濯しようと、何のかんのと言い立てばかり。又も参ろうと誘うてみれば、わしももそっと小金をためて、娘嫁がせ息子に嫁取り、隠居の身分となったなら、それからぼちぼち参るわい。年をとったら耳は聞こえず目は見えず、足はいよいよ根気ない。それでも百まで生きられぬ。死んで未来はどこなれば、血の池地獄に落ちるなり。地の池地獄の苦しみは、幅も四万と四仞(じん)なり。深さも四万と四仞なり。八万八仞のその中へ、糸より細い橋をかけ、婆さんこの橋渡れ、この橋渡って向こうの岸に着くなれば、成仏得道得さすべし。あまり鬼ども責めるから、渡らんとすれど、橋は細し身は重し、真ん中よりぶっつりと、体は
悪処(あくど)に沈むなり。滝と伸びたる黒髪は、ただ浮き草の如くなるわいなーーー。
(十番まであるが以下省)
 最後に婆ちゃんは「これが今のわての心境ですわ」といって
 「ピンピンシャンシャン声はりあげて、唄うまんまがお他力や どこで死のうと倒れよとそこがそのままお浄土や」

 聞いておられた暁烏師
 「あんた、どうして、そこまで喜ばれるようになったのか、聞かせてくれ」
 そこで婆ちゃんは一生の遍歴を語る。

名は岡部はる、明治二十三年生れ。石川県内灘町。貧漁師の娘。八人兄妹。
  父は毎日仏壇でおつとめ。はる、「きみょうむりょう」を覚える。
 十七歳で大阪の伯母(芸者置屋)のもとへ、芸者になる。
 芸者になって売れ、吉本興行にまで出る。初婚はやくざ男。刑務所出。金品をゆすられ、手をきる。再婚したのは、讃岐生まれの設計士、年下男。女道楽。稼がず、遊び人。夢に亡母と地獄極楽の話。「わてみたいなもの、どうしたら極楽へ?」「信心したら」 醒めて主人に夢
を語るが問題にしない。そして新聞みてうなる。大正十二年九月一日の関東大震災の写真。まさにこの世の地獄。男だまして金もうけしているわが身の地獄が見えてきて、聞法しだす。しかし、その頃は死んでからの地獄を恐れていただけ。それが今の自分の問題になる。
 はるの弟ー北海道ーが死に、その娘を四歳で引き取り、養女にしていた。やがて芸者に育てた。その養女に主人が手をつけた。三年間、地獄の中。主人と娘を鬼畜生と怨み、寺で聞法。その時だけは心安まるが、帰宅すると二人の笑い声に気が狂う。出刃包丁を手にした事も。
 五十一歳になったとき、夫の前でどちらを取るか、決着を逼る…捨てられる。そこで潔く髪を切り、二十四輩巡りに出るー真の念仏者に遇えるだろうと。あるところで涼しい念仏をしている婆にあい、この人ならと、全てを打ち明ける。話してみたら同じように夫の女狂いに泣いた人。「今はその二人に手を合わせている。こうして念仏喜べる身に成ったのも、あの二人のお蔭さま」という話。
 はるは驚いた。鬼畜生と二人を憎んで、殺そうとまで思った私こそ鬼だった。あの二人は仏さまだった。
 そこで、大阪へ飛んでかえる。ところが家は空き屋。二人は病院。
 二人はベッドから飛び降り謝る。「いや、わたしが礼をいいにきた。あんたらを憎んでいた私が鬼だった」「いや、おれが悪かった」「あてが悪かった」・・・三人だきあって泣く。半年後、二人は死ぬ。
 こんな素晴らしいナンマンダブを知らんで暮す人が多い、可愛そうに。それから三味線一つかついで、全国放浪、唄ってまわる。
 念仏は「方便」ではない。私がホントのナンマンダブに遇うまでの世界と、遇うた(五十一歳)後の世界とでは天地の違い。
 それから三十年の聞法。これほど愉快な生活はなかった。
 八十三歳で、小豆島の林曉宇さんを訪ねる。
 八十四歳で往生。釈妙常。

因みに三味線婆ちゃんの本山献金は七回、当時の金で10万円たまると上納したという。

【三味線婆ちゃんの言葉】
どこで死のうと倒れようと、そこがそのままお浄土や

あとになってふり返ってみると、その頃の聞法は地についておらなんだ。何でやいうたら、死んでからの地獄おそろしさから聞いておったのやさかい。今の、わが身の問題になってなかったのや。

鬼や畜生やというて恨んだり憎んだりしてきたわが子と主人こそ、このわてをこの広い道に出してくれんがために、あの姿になってご催促してくれた仏さんやった。

大きなお寺の坊守はんやというところへ座っとったら、いつまで聞いとっても仏法は聞こえてきませんぜ。

あの世の助かる助からんはおいときなはれ。今、この世で助けてもらえる。ここがお助けの場所や。何もかんもがお助けの材料になるのや。

ああ、ここまで一生懸命になって聞いとる人でもこういうことなんやなあ、九分九厘までわかっとる人でも、ここからがやっぱりわからんのやなあ、思いますのや。

どない物を大事にして、もったいないいうてお念仏してよろこんどる人でも、わてがこの弁当出して、あんたはん、これ食べてみなはれ、いうても、よう箸出す人ない。口でどないにもったいないいうて、頭下げとるようでも、なかなかそこから下がらんのやな。

あのな、なんまいだぶつのお念仏もらうとな、汚いいうもんなくなるのや。人を汚いいうこと思えんようになる。わが身を見てみなはれ、汚いぞ。よう探索して見なはれ、根性も体もこれほど汚いもんはないがな。

実際、われいうもんを見せてもろうて、五体の中にどんなもんがあるか、根性の中にどないなもん持っとるか、いうことを知らせてもろうたら、人の食べ残しやから汚いなんて思われんことになるのや。
 だいたいな、そんなこと思うとるいうことは相手の人を下に見てるのや。われが高いことへ上がっとるのや。その証拠に好きな人やったらキッスまでするがな。

 みんなさっき、あの人はどうや、この人はどうやいうて話してましたやろ。人間いうものは見ようがあるのや。一方に悪いとこがあったら片方にまたそれ以上いいところがある。そやさかい、人のことを、ああやこうやいうこといらんのや。それよりわが身を見せてもらうことや。

人は「ようあんた、そんな死人の側に、それも首吊って死んだ人の側に、おとろしうない寝れましたな」いうけどな、死んだ人は何もおとろしうないのや。生きとるもんこそ何するやらわからん。

源兵衛島のばーばが寝込んどるのを聞いたばあちゃんは見に行った。
「おい、ばあさんおるか。寝とるのか、三味線ばばじゃ」
「上がれゃ」
「上がれいわんかてもう上がっとるわ。どないしたのや」
「孫が走り出してこけたさかい起こしに走ったらわが身がこけて、それから立てんのや」
「あんた、いくつや」
「九十二や」
「ああ、九十二やったら、もうあの世行きやな」
「おお」
「お前、未来はどうや、ちょうついとるか」
「まかしとるわい」
「ああそうか。そりゃよかった。そんならわてこれで行くぞ。死ぬなら好きな歌でも唄うていけや。
半座あけて待っとれや」
「おどれや先に往くな」
といいおった。

わてのもろうたダイヤモンドはありがたいがな。取り合いいうことせんでもいい。欲しいものにはいくらでもわけてやれる。それで増えても減ることない。仏さんから一ぺんもろうたら無くなることも減ることもない。どこで死のうと生きようと、このダイヤモンドがいいようにしてくれる。死んだ後の心配することいらん。

仏法いうもんはその日一日や。今日の一日が、うれしいこと、たのしいこと、さわやかなこと、きよらかなこと。
そやさかい、死んで極楽へ行きたいとも思わな、よろこんで今日の出来事受けて、苦しみがあってもその苦しみといっしょにいける道があるのや。そこが肝心や。

三味線でも踊りでも肝心なとこは二つか三つやぞ。そこをおさえたらぴたっときまるとこがあるのや。仏法かてそこをはずしたら、あとはどないに長いこと聞いたかてけいこしたかてがやがやや。

現在自分の暮らしの中にお説教いくらでもあるのや。お念仏もらうとそれが聞こえてくるのや。そやさかい、さっきもいうように死んで極楽へ行きたいとも思わにゃ、また、その必要がなくなるのや。

十八願の大経さんの世界は、ああなりたいこうなりたいの世界と違うのや。どんな苦しみが来てもこたえんことになっとる。その苦しみの中からよろこびを見出していけるのや。

わての肚がどこできまったかいうことかいな。
それは、われいうもんをよう見せてもらうのや。われいうもんが、こういうわれやったかいな、われの心の中で思うとることを見せてもろて、われいうもんの値打ちがどれだけのもんや、いうことが知らされて、あーあ、これぽっちの値打ちのなかったわれやった、地獄がいやで、極楽へ行きたいいうて願うとるけど、どう考えてみても極楽へ行けるわれではない。

このわれいうもんを見せてもろうと、毎日の仕事いうもんは、地獄行きより他にしとらん。極楽行きいうところは、こっから先、爪の先ほどもできんのやさかい。そしたら、あーあ、落ちるまんま、そのままやったなあ思うと、そこで手が打てる。

立派な寺の坊さんも、わが身のこもるコンクリの城をこわすまいこわすまいとして、駆けまわっとるのや。

(出典 林暁宇『三味線ばあちゃん』東本願寺)
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