RE 子どもを放せば 

栗山勝訓導は大阪・堺市、三室小学校で勤務中、
あの室戸台風(昭和9年)による大潮で、小学校が
波に呑まれる。栗山訓導は泳ぎ上手であったので、
3人の子を助ける。さらに2人の子を両腕にだいて濁
流の中に・・・。女教師が波間の栗山訓導に向かって
「先生!」と叫ぶ。「おーっ」と答える声が最後。
 台風後、浜に打ち上げられた材木の下に、足にサツ
マイモのつるがからみつき、両腕に子どもを抱いた栗
山先生の姿が見つかる。
 子どもを放せば助かったのに・・・
 子どもの親「子の死の悲しみよりも、先生に抱かれて
いたことが嬉しい!」

 これこそ「摂取不捨」の大悲心である。
 この栗山先生こそ、雑賀正晃師の叔父さんで
 あったという。

(出典 雑賀正晃師の法話)
【キーワード】 室戸台風 大潮 小学生
  溺死 先生の殉職 最後まで放さずに
摂取不捨 大悲心




【参考】

室戸台風は1934年(昭和9年)9月21日に西
日本を中心に大きな被害を及ぼした台風。午
前5時頃に高知県室戸岬付近に上陸したこと
からこう呼ばれる。その被害は「関西風水害」
の名でも呼ばれる。

枕崎台風、伊勢湾台風と並んで昭和の三大台
風のひとつに数えられる。これらのうち、室戸台
風は戦前(第二次世界大戦前)に発生した台風
である。

全壊した京都西陣小学校
五重塔が全壊した四天王寺

被害者は死者2,702人、不明334人、負傷者14,994人。
大阪と神戸の間に午前8時頃再上陸した。再上陸
時には満潮を過ぎていたがまだ潮位は高かったこ
とと最大瞬間風速60m/sという強風により、4メートル
を超える高潮が発生した。[1]

高潮に関しては、大阪港の築港路上の記録として30
分の間に200cmを超える海水の流入があり、地盤沈
下の影響もあり滞留した内水と押し寄せる海水の影
響で、大阪城付近まで湛水したという。あまりの急な
水位の上昇に避難が間に合わず、大阪湾一帯で溺
死した者は1,900名以上と推定されている。

暴風に関しては、各種学校や寺院を筆頭に、比較的
大きい建築物に被害が相次いだ。特に、小学校に甚
大な被害が続出しており、小学校244校と実業補修
学校2校のうち、被災を免れたのは鉄筋コンクリート
造り及び1928年(昭和3年)以降建築の耐震型最新
式木造校舎の66校のみであった。構造的に劣る古い
木造校舎を使用していた残り180校480棟全てが全壊
半壊・大破する結果となった。

折悪しく最大の風速に達したのが登校時刻の午前8時
前後、強風が直撃した木造校舎が一瞬にして粉砕崩壊
、あるいは押し倒されるように倒壊し、中にいた児童や
職員、心配して迎えに来た保護者に多数の犠牲者を出
した。小学校内における死者は職員7名・使丁2名・児童
251名・保護者7名の合計267名に達し、重軽傷者は合計
1571名に上った。校外における死者18名、重軽傷者610
名に対して、校舎の破壊によっていかに多くの校内死傷
者を出したかが分かる。大阪城公園には死者を慰霊する
塔(教育塔)が建てられている。[2]また、京都両洋中学校
では校舎の倒壊に加えて理科室の薬品が発火し、生徒30
名が焼死している。