RE 比較病

この度ご縁をいただきまして拙文を寄せさせていただき、先ず御礼申上げます。
 私は二歳の時罹りました小児麻痺のため、足が不自由です。(這うて歩きます。)ご仏縁に遇わせて頂いたのは、母が自分の死後の私を心配して、いつでも仏さまのお声を聞かせて頂ける身にさせておいたらという願いから、ご法話の
座へつれていってくれたのですが、私はただ外出が嬉しかっただけでした。
 ところが、二十四才のときカリエスになり、初めて人生の目的や意義を考えたのです。しかし考え及ぶはずがありません。死が見え隠れするのです。苦悩は深まるばかりですが、自殺する勇気もないのです。人生に夢も希望もなく悶々としていました。
 そんな苦悩一杯のとき、不思議なご縁で、今に四十年来、仏法にご持育頂いている恩師藤原
正遠先生がご光来くださったのです。そして苦悩を訴える私に「あなたは病気だというが、それは人と比べてのことでしょう。しかし、みかんはみかん、りんごはりんごです。比較できないものを比較するところに、いろいろの病気や苦悩が生れるのです。それを比較病というのです」とお教えくださったのです。
 私は何かちょっとほっとしましたが、現実は絶対安静の身ですので、また小言を言ったのです。すると先生はお声をきびしく
 「そんなに寝ているのがいやなら起きて歩きなさい」と仰有ったのです。びっくりしました。でも私も一所懸命でしたので、なお叱られるかと思いながら
 「起きて歩けるくらいならこんな苦悩はしません」とつい口応えしたのです。すると先生はお叱りどころか、今度はやさしく 
 「そんなら寝ときなさい。そこがあなたに仏さまがお与え下さったたった一つの一番楽な仏のみ手の真ん中です。お念仏なさい。お念仏様がそうだったことを教えてくださいます。お念仏が出なければ、絞りだしなさい。お念仏が出てくださると、私のいうてることも分かります。
苦悩が深ければお念仏が口割ってお出まし下さることになります」と仰有ったのです。
 仰せの通り、いつか強情な私の口を割ってお念仏様はお出ましくださり、一切の事は私の都合に関係なく、ようても悪うても花は咲いて散る如く、先々に脈々と活動している不思議な大法海の妙有の中に私も生かしめられ、一切のものが如来掌中のなかに摂取せられていたことを、
まわり中の森羅万象の諸仏方がご証明くださっていたことを、お念仏様となって仏さまは呼びかけお教え下さっていたのでございました。
 まことに唯ただ南無阿弥陀仏と合掌させて頂くお念仏のお恵みをありがたく思うことでございます。
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

(出典 長崎 佐々真利子さんの手紙 
    藤原正遠師の放送に引用)
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