RE 不真面目

中でも、特に(白井成允)先生のおこころを動かしたのは、近角先生の本願他力と如来大悲のみ教えであったようであります。東大在学中、先生は毎日曜、近角先生の求道会館へ通われたそうでありますが、求道会館は東大の赤門の前にありました関係で、東大の学生がよく集まっていたようであります。先生もその一人であったわけですが、熱情をこめて話される近角先生のご法話にひかれて、毎回通いながら、どうしても信心が得られない。中にはご法話の後、立ち上がって、涙ながらに信心の告白をする人があるのに、自分にはどうしても素直に信じられない、どうしてだろうか。これはまだまだ自分が不真面目だからにちがいない。だから、いくら聞いてもお慈悲がわからないのであろうと、先生は自分自身を責めながら、心の苦痛に堪えかねて、ある日、そのことを近角先生に訴えられたそうであります。
そのとき、近角先生が、温情あふれるお言葉で、しかもまた厳しくおっしゃったことは、「君はもう久しく私の話しを聞いているのに、まだそんなことをいっているのか、真面目になって信を得よと、何時私が言ったことがあるか。自分が真面目になって掴もうとする信心ならば、そんな信心は当てにはならぬ、そんな信心をえて何になるか。一体、君はいつ真面目になれるのか。親鸞聖人も罪悪生死・煩悩具足の凡夫とおっしゃっているではないか。しかも、そのような凡夫なればこそ、救わずにはおかない本願をおたて下さったのが如来さまである。それがわからず、自分の思いで信心をつかもうとしている限り、いつまでたっても信心の得られるはずはない。」という意味のお言葉であったということであります。
それを聞かれて白井先生は、一度に胸のつかえが下りたような気がして、それからは、不真面目な自分の姿に気がつくたびに、お念仏申さずにはおれなくなったといっておられました。これを思うに、近角先生のこの教えが、先生にとっての大きな転回軸になったのではないでしょうか。
話しは後戻りしますが、このようにして、先生が本願他力の浄土真宗に帰せられたのも、考えてみれば、幼くして(先生満十歳のとき)死別されたご母堂への思慕の情が、その遠因になっているのではないかと思われます。お母様は三男ご出産の後、産褥熱のため32歳の若さで急逝されたのでありますが、それ以後、亡き母上を偲んで、先生の心の痛みは消えることがなかったようであります。
仙台の第二高等学校在学中、先生は一時キリスト教にこって、洗礼を受けるまでになっておられたのですが、キリスト教では、イエス・キリストを信じるものは天国に入ることが出来るが、信じないものは地獄におちて、永遠の刑罰を受けなければならないと説いてあるのを、ふと思い出して、「たとい、わたくしがキリスト教徒になって天国に招かれたとしても、キリスト教を信じていなかった母が地獄におちて苦しんでいるならば、わたし一人がどうして天国に安んじえようか」と思い直し、ついにキリスト教を去ったのだ、と語られたことがありました。
これを思えば、後年先生が、一如平等・倶会一処(くえいっしょ)を説く浄土の教えにはいられたのも、本はといえば、亡き母上の冥々のお導きがあったればこそではないでしょうか。おそらく先生ご自身、そのような感懐の切なるものがあられたことでありましょう。ついでに申しますと、先生のお母様は、ご生前中和歌の道にも親しんでおられたらしく、遺詠も多少残っているそうであります。先生が折りにふれて、情緒あふれる数多くの歌を詠まれたのも、そのようなご母堂の血を承けておられたからかもしれません。

(出典 井上善右衛門 『白井成允先生を偲んで』
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