RE 父は名をつけて

 ある門徒さん家で戦死者の五十回忌。お婆ちゃんが、主人の法事とて数年前から心懸けていた。息子3人、それぞれ立派な社会人。都会のあちこちから参詣。読経の前に挨拶に。「三人とも、一人として親父から可愛がってもらったとか遊んでもらった覚えはない。(戦時中)。それでも父の五十回忌となると神妙な気持になる。どうぞよろしく」と。
 読経後、婆ちゃん、3人の息子とお礼に来る。
「三番目の息子は、夫の赤紙出征の日に生まれました。親類の者らに送られて出発して一時間後に生まれたのです。「一目子の顔を見てほしい」
との願をうけ、使いの者が夫を追って走り、やがて夫は引き返し、子を抱いて喜び、また出ていこうとします。『名前をつけて!』と私。『勝(まさる)だ』と命名して、夫は戦場へ・・・」
 聞いていた第三子の息子。「すると俺の名前には父の万感の思いがこもっていたんだなぁ・・・」
と嗚咽したことでした。
 名のいわれの大切さ。阿弥陀仏名号のいわれの大切さが偲ばれることです。

(出典 小野蓮明師 法話)
【キーワード】名 名号 いわれ 願い
       誠実言

【参考】
☆ある中国残留孤児が来日し、肉親探しした   が見つからず、空しく引き揚げるときいう。
  「もの私の肉親がいたら、どんな方法でも   よいから二つのことだけ教えてください。
   (1)いつ生まれたか。
   (2)何と名づけられたか。」