KB 大乗のなかの至極

『浄土真宗聖典 註釈版 第二版』の中の
『親鸞聖人御消息』(一)「有念無念の事」の後半に
 ①「聖道といふは、すでに仏に成りたまへる
   人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・・・等の大乗至極の
   教なり。」(736頁)
②「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」
  (737頁)
と出ている。
 ①、②の下線部は、よく似た表現であるが、親鸞聖人は、聖道の諸宗も、浄土真宗も、
どちらも「大乗至極」と同列に見ておられるのか?と一瞬疑問が湧く。
 しかしもう一度よく見直すと
  ①は「聖道の諸宗は、大乗至極の教なり」。
その意味は、「諸宗は、仏教の中でも至極である大乗(自利利他)の教えである。」暗に
「小乗 (自利のみ)」より進んだ=至極の教え・大乗に属しているのだ」という含みが感じ
られる。 それに対して 
 ②は「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」だから、「大乗に諸宗ある中で、浄土真宗は
最高の至極である」、つまり、仏教の展開史でいえば、「原始仏教ー根本分裂ー部派仏教・
小乗教ー大乗教⇒浄土真宗」というとらえ方である。そしてその展開の方向とは「大悲心
の徹底」(十方衆生ー特に悪人凡夫が真に涅槃に至り(自利)、普賢の徳を得て「利他」の
回向に入る(利他)という「大乗菩薩道」の完成であったと聖人は仰有りたいのであろう。

 ところが、『浄土真宗聖典 親鸞聖人御消息
現代語版』で①、②の訳をみると
①「聖道門というのは、・・・宗などの大乗の究極の教えです」 (5頁末行)
②「この浄土真宗こそ大乗の中の究極の教えです」 
となっていて、一般人には
赤字部の違いはわからず、どちらも同じだと思われてしまう。
 その原因は①の訳「大乗の究極の教え」にある。
  原文の「大乗至極」は「大乗という至極」の意味だから「
大乗という究極の教えです」
とした方がよい。ここの「至極」「究極」は小乗に対しての言辞なのであるから。
 ②のほうは「この浄土真宗こそ」と「こそ」で際立たせているから、それでよい。

        
(出典 聞法ノート)
【キーワード】 大乗 至極 小乗 浄土真宗
   自利 利他 仏教の展開 「の」の意味