KB 歓喜地は正定聚の位なり

「本師龍樹菩薩は  大乗無上の法をとき
 歓喜地を証してぞ ひとへに念仏すすめける」
という高僧和讃がありますが、親鸞聖人はそこにこういう左訓をつけておられる。
 「歓喜地は正定聚の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。
  得べきものを得てんず(得てしまえるだろ  う)とおもひてよろこぶを歓喜といふ」
ところで歓喜地というのは
 「この心をもつて初地に入るを歓喜地と名づく」(行巻・十住毘婆沙論=聖典147頁)
とあるように、初地=41階位である。
他方、正定聚とは
 「信心をえたるひとは、かならず正定聚の位に住するがゆゑに等正覚の位と申すなり。
 『大無量寿経』には、摂取不捨の利益に定まるものを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には等正覚と説きたまへり。その名こそかはりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつ位なり。等正覚と申す位は、補処の弥勒とおなじ位なり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆゑに、弥勒とおなじと説きたまへり。」(親鸞聖人御消息(11)、聖典758頁)
とあるように、弥勒と同じ51階位である。
 ここに疑問が生じる。41位の歓喜地がどうして51位の正定聚と同じであるといえるのか?

 しかし、その疑問を解く資料がある。
 「また弥勒とひとしと候ふは、弥勒は等覚の分なり、これは因位の分なり、これは十四・十五の月の円満したまふが、すでに八日・九日の月のいまだ円満したまはぬほどを申し候ふなり。これは自力修行のやうなり。われらは信心決定の凡夫、位〔は〕正定聚の位なり。これは因位なり、これ等覚の分なり。かれは自力なり、これは他力なり。自他のかはりこそ候へども、
因位の位はひとしといふなり。また弥勒の妙覚のさとりはおそく、われらが滅度にいたることは疾く候はんずるなり。かれは五十六億七千万歳のあかつきを期し、これはちくまく(竹の内側についている極めて薄い膜)をへだつるほどなり。かれは漸・頓のなかの頓(漸の誤記 か?蓮位による写し間違いであろう)、これは頓のなかの頓なり。滅度といふは妙覚なり。曇鸞の『註』(論註・下)にいはく、「樹あり、好堅樹といふ。この木、地の底に百年わだかまりゐて、生ふるとき一日に百丈生ひ候ふ」(意)なるぞ。この木、地の底に百年候ふは、われらが娑婆世界に候ひて、正定聚の位に住する分なり、一日に百丈生ひ候ふなるは、滅度にいたる分なり、これにたとへて候ふなり。これは他力のやうなり。松の生長するは、としごとに寸をすぎず。これはおそし、自力修行のやうなり。
  また如来とひとしといふは、煩悩成就の凡夫、仏の心光に照らされまゐらせて信心歓喜す。信心歓喜するゆゑに正定聚の数に住す。信心といふは智なり。この智は、他力の光明に摂取せられまゐらせぬるゆゑにうるところの智なり。仏の光明も智なり。かるがゆゑに、おなじといふなり。おなじといふは、信心をひとしといふなり。歓喜地といふは、信心を歓喜するなり。わが信心を歓喜するゆゑにおなじといふなり。くはしく御自筆にしるされて候ふを、書き写してまゐらせ候ふ。」
(親鸞聖人御消息(13)、聖典764-765頁)

 要は、弥勒菩薩は自力道であって、漸であるから、等覚(51位)から妙覚(52位)への進みも遅い(五十六億七千万年)。凡夫は他力道で頓だから速い(「このたびさとりをひらくべし」正像末和讃)。このように「かれ」(彼=弥勒・自力)と「これ」(凡夫・他力)とは異なる。だから、「煩悩成就の凡夫、仏の心光に照らされまゐらせて信心歓喜す。信心歓喜するゆゑに正定聚の数に住す」となり、「歓喜地は正定聚の位」と言えるのである。

 本典行巻にも同趣の御自釈がある。
 「【71】しかれば真実の行信を獲れば、心に歓  喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく。これを
初果に喩ふることは、初果の聖者、なほ睡眠し懶堕なれども二十九有に至らず。いかにいはんや
十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつる
と。これを他力といふ。ここをもつて龍樹大士は「即時入必定」(易行品)といへり。曇鸞大師は「入
正定聚之数」(論註・上)といへり。仰いでこれを憑むべし。もつぱらこれを行ずべきなり。」
(聖典186頁)

さらに今一つ、それを補強する「他力=横超」の資料が本典信巻にある。
  「【73】横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、
化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。」(聖典254頁)

 要は、「横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり・・・大願清浄の報土には品位階次をいはず」ということ。他力横超の大誓願によって「信外の軽毛」以下の「低下の凡夫」が救われていくときには、五十二位の「品位階次」はもはや問題ではない。「信心歓喜」したとき、即(「真実信心うるゆゑに すなはち」(正像末和讃))正定聚の位に入るのであるから「歓喜地は正定聚」なのである。

(出典 釈浄厳 聞法メモ 『浄土真宗聖典』第二版)
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