IN 『句仏句集』より

明治32年 散る時が浮かむ時なる蓮かな
明治34年 伽羅匂ふ廊下通るや春の宵
      極楽の近道ここか曼珠沙華
明治36年 寺見えて薫風鐘の谺かな
      いづこより我呼ぶ声ぞ秋の春
      足ることを知りてぞ我も蕎麦湯哉
      念佛すれば報恩講の鐘が鳴る
      合掌の氷る水晶の念珠かな
明治37年  風巻の浄明寺に其昔嚴蔵という学
        者の住みし処にして今猶当時の屋
        室を存す
      行春や学匠出でし古館    
明治38年  十九才にして肺を病める女我れに
       安心を問はんとして病をつとめて
        草庵を訪ひければ
       秋悲し法聞く人も説く我も
明治41年 聞法のうろ分かりして春暮れぬ 
明治42年 勿体なや祖師は紙衣の九十年
      《注 句仏三十四歳 前年第二十
          三世管長職に就任》
      《山折哲雄 『同句の書名』の著で
         一茶の句二つを紹介
       ・もたいなや花の日永を身に困る
       ・もたいなや昼寝して聞田うへ唄》
      《山折 同書でこの句の由来を紹介
        句仏が加賀・橋立の回船問屋で
        篤信家の久保彦兵衛を訪ね、以
        前東本願寺を離脱して西本願寺
        に転派したのを、撤回してほし
        いと懇願したが、聞きいれられ
        ない。相手の顔を見つめ(その
        時の句仏の文)
「眺め入りつつ宗祖大師が弘法の苦楚を偲
    び居りしに、微風の草海を渡るが如く、
    我が胸静かに浪立つ間もなく一句口を衝
    いて出でぬ。
     勿体なや祖師は紙衣の九十年」
此の一句を得て我が句嚢稍重し。之を喜
    ばざるにはあらねども、涙も落ちぬべく
    も今も慈しまるるは其の刹那の心境也。
    而して其の刹那の心境は勿体なやの一語
    に尽く。(句仏『法悦の一境』内田疎天篇)
    ※注 「句仏とは「句を吟詠する仏弟子」
        の意味であろう」(松濤)
       
明治42年  親鸞におきては唯念仏して弥陀
         に助けられまいらすべしとよき
         人の仰せをかるむりて信ずる外
         に別の仔細なきなり
       落葉すれど聞きしまま行く徑かな
明治44年  六百五十祖忌の春梅咲くに遇へり
大正8年    噫長女政子は逝けり 
       笑顔して浄土へ眠る永き日を
       世の波を知らで逝く汝よ春の海
  〃    仏燈も涙含む眼におぼろなる
大正10年   政子が三回忌
     思い出ては又泣く春の寒さかな 
大正11年    露月山人が愛嬢を亡はれたりと
         月子よりの章おこさる 我身に
         引き競べて山人の胸中を泣く
       念佛して火桶に落とす涙かな   
  〃        石神願船寺に説話するに群衆の
            殊勝なる様のうれしくて     
       身に入みて法聞く人や雨の暮
大正13年   西村七兵衛氏を悼む
覚悟して逝く人うれし百合薫る
昭和5年 名聞なき念佛に籠る年の朝
  〃    婿殿も集ふ雑煮の三日かな
  〃     人の世の歩みはと問われて
信心の外に世はなき涼しさよ
〃     常観御房が坊守の母を悼む
身も共に浄土に遊ぶ小春かな
昭和6年   弥陀仏とともに在るなり麗に
〃     島上村願念寺に詣りて
       夜寒さを報恩念佛堂に満つ
昭和9年   初空や法身の弥陀に合掌す
  〃    煩悩の我は蚊を打つ男かな
  〃     禽化が句作読本を著わして題
        句せよとありければ
俳句二河白道を行く涼しさよ
〃    長き夜を弥陀頼む身の置所
〃    念佛しては蒲団の中に合掌す
  〃   除夜の鐘に念佛もやがて夢に入る
昭和10年   長良川の鵜飼に誘われて
煩悩の篝繫縛の鵜縄かな
  〃    浄土にて又逢ふまでの夜長かな
  〃    今宵死ぬ人もやあらん花衣
昭和11年   日野法界寺
なつかしき弥陀の膝下に春日さす
〃   除夜の鐘心に念佛称へ居る
昭和12年   大垣長勝寺の遠忌雑詠
祖恩無辺泣く泣く遠忌果つるなり
   〃     金沢郊外所見
       佛名に起きて涼しき旦かな
   〃   大年を生きて報謝の念佛かな
   〃 法談の腹案を練る夜長かな
昭和14年  門松に雀の止まる雪の朝
   〃   内陣に逆うつる燈や遠蛙
   〃   無明長夜の一燈貧の信より
   〃   今年亦生きし歓喜を御講果
   〃   娑婆の縁尽きず除夜に入る称名裡
昭和15年  初詣新堂の木香も目出度さよ
   〃   人の世は無常が常よ落椿
   〃    世淳房を悼む
       苦の舊裡浄土へ旅出涼しかろ
〃   念佛の声にかくれて年の暮
   〃   萬感の夢に消えゆく除夜の鐘
昭和16年  露の余命あらば又逢ふ念佛せよ
   〃    名号を旅に書く夜や虫の音
   〃     近角常観房を悼む      
       残る我寒し浄土へ足早に
昭和17年  元旦の犬も尾を振る御慶かな
   〃   佛燈の細き影にも冴え返る
昭和18年  罪業未尽今年報謝に生きんかな

(出典 『句仏句集』読売新聞社 昭和34年)
   山折哲雄『勿体なや祖師は紙衣の九十年』中央公論新社 平成29年
【キーワード】 親鸞聖人 加賀・橋立 久保彦兵衛 大谷派 本願寺派 

【参考】 句仏
大谷光演(おおたに こうえん)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」(しょうにょ)。俳号は「句仏」。東本願寺第二十三代法主[1] 。真宗大谷派管長。伯爵。妻は、三条実美の三女・章子。

1900年まで南条文雄・村上専精・井上円了らについて修学。また幸野楳嶺や竹内栖鳳に日本画を学び、さらに正岡子規の影響を受け、『ホトトギス』誌にて河東碧梧桐、高浜虚子らに選評してもらい、彼らに傾倒して師と仰いだ。後に『ホトトギス』誌の影響から脱し独自の道を歩む。生涯に多くの俳句(約2万句)を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた。「句仏上人」(「句を以って仏徳を讃嘆す」の意)として親しまれる。