IN 露の世は


露の世は 露の世ながら さりながら
                小林 一茶

 この句は亡くなったわが子の傍らで悲嘆に暮れる妻の姿を見てなんとも苦しく悲しい心境を一茶が読んだもの。
 酷(ひど)い喪失感を感じながらも必死でうなだれた顔を上げようと頑張っている
 傷ついた人たちの切ない気持ちにも同調し訴えかけているように感じる。
 この世は露のように儚(はかな)いもの。いつ何が起きるか分からない。それは充分承知の上ではあるが、分かってはいたのだが、それでもやはり・・・・・・と書いて一茶は筆を措(お)く。心の中ではどうにも諦めきれないという悲痛な叫びを痛いほどに感じてしまう。そこから先の言葉はもう出なかったのかも知れない。
 「さりながら【然(さ)り乍(なが)ら】・・・」と言う言葉が心の奥深くで響き、我が子を失った一茶の悲痛な叫びが胸を突いてくる。

(出典 ネット)
【キーワード】 電光朝露 無常 露の世
        聞法 実感

参考 「白骨の御文」 蓮如上人
それ、人間の浮生(ふしよう)なる相をつらつら観ずるに、凡(およ)そはかなきものは、この世の始中終(しちゆうじゆう)、幻(まぼろし)の如(ごと)くなる一期(いちご)なり。されば未(いま)だ万歳の人身(にんじん)を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易(やす)し。今に至りて、誰か百年の形体(ぎようたい)を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本(もと)の雫(しずく)・末の露よりも繁(しげ)しといえり。されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。既に無常の風来(きた)りぬれば、すなわち二(ふたつ)の眼(まなこ)たちまちに閉じ、一(ひとつ)の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)の装(よそおい)を失いぬるときは、六親(ろくしん)・眷属(けんぞく)集りて歎き悲しめども、更(さら)にその甲斐(かい)あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外(やがい)に送りて夜半(よは)の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしようふじよう)のさかいなれば、誰の人も、はやく後生(ごしよう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ