IN 杉山平一の詩

問い
手段がそのまゝ
目的であるのはうつくしい

アイスクリームの容れものゝ三角が
そのまゝたべるウエファースであり
運ぶ材木の幾十百本が
そのまゝ舟の筏であるように
「なんのために生きるのです」
そんな少女の問いかけに
「問いはそのまゝ答えであり」と
だれかの詩句を心に呟きつゝ
だまって僕はほゝえんでみせる



ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい

身体がさきにこの世へ出てきてしまったので ある
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である

思い出せぬまゝ
僕はすごすごあの世へもどる    


※「生」の最後で詩人が答えを出してないのは
 「問いが答えである」ということ。生涯問い つ
づけるべき問題が「人生の目的」であると いう
意味。つまり、毎日、その問いを問いつ づけな
がら生きることが、人生の意味である という趣
旨であろう。

(出典 杉山平一 詩集『ぜぴゅろす』)
【キーワード】 生まれ甲斐 人生の目的
  目的と手段 問いが答え 汝自当知
  求道 

参考
 杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月
2日 - 2012年5月19日)は、日本の詩人、映画
評論家、帝塚山学院大学名誉教授。

福島県生まれ。北野中学、松江高校を経て東
京帝国大学美学美術史学科卒業。在学中三
好達治に認められ『四季』に参加、同人となる。
卒業後織田作之助らと『大阪文学』を創刊。
1941年第2回中原中也賞(現在の同名の賞と
は異なる)、1943年『夜学生』で文芸汎論詩集
賞受賞。2003年『戦後関西詩壇回想』で小野
十三郎賞特別賞受賞。2012年、詩集『希望』で
第30回現代詩人賞受賞。その他大阪府知事賞、
大阪芸術賞、兵庫県文化賞など。

戦後は映画評論で活躍、『映画芸術』『映画評論』
に多く寄稿。1966年帝塚山学院短期大学教授。
1976年10月 大阪シナリオ学校 校長に就任。
1985年定年、名誉教授。四季派学会会長、現
代詩人会会長を歴任した。

2012年5月19日に肺炎のため死去[1]。