IN 死刑囚の歌

☆この身体 鬼と仏とあい住める(大阪 死刑囚)

☆この手もて人を殺せし死囚われ
   同じ両手に今は花活く  (島 秋人)
☆うそ一つ云いえぬほどに変わりたる
   身のいとしさを尊く覚ゆ (島 秋人)
☆世のためになりて死にたし死刑囚の眼は
   貰い手もなきかも知れぬ (島 秋人)

島秋人
  島秋人さんの紹介(本『遺愛集』の中から
の引用)
 昭和9年6月28日生れ、幼少を満州で育った。
戦後父母とともに新潟県 柏崎市に引揚げたが
母は疲労から結核になりまもなく亡くなった。本
人も病弱で結核やカリエスになり、七年間もギブ
スをはめて育ったが小学校でも中学校でも成績
は1ばん下だった。まわりから、うとんじられると
ともに性格がすさみ転落の生活がはじまった。少
年院にも入れられた。昭和34年雨の夜、飢えに
たえかねて農家の押し入り2千円を奪い、争って
その家の人を殺し死刑囚として獄ににながれるこ
とになった。
 中学の頃、たった一度だけほめられた記憶を忘
れられず、獄中からその先生に手紙を出したことが
きっかけとなり、ひめられた”うた”の才能の扉が開
かれ、身も心も清められていった。昭和42年11月
2日小菅にて処刑。
 この本には、島秋人さんの手紙や短歌がのって
います。上に書いたように、島さんは、死刑囚でし
た。獄中から中学校の先生に、手紙を出しました。
獄ににながれるまで1回しか褒められた経験がない
とは、まったくひどい話だと思います。手紙を受け
取った吉田先生は返事と一緒に子どもさんの絵と
奥さんの短歌を送りかえされたそうです。そのことが
きっかけとなり、短歌を書き始めたわけです。

1960年の新潟地方裁判所での死刑判決後、中学
生時代の担任教師から短歌を贈られたことをきっか
けに短歌を詠みはじめる。1962年からは毎日歌壇
の窪田空穂選に投稿を開始。同年1月28日に初入
選を果たし、その後も入選を繰り返し、その存在が
広く知れ渡ることとなる。1963年に毎日歌壇賞を受
賞。

1967年11月2日、小菅刑務所(現在の東京拘置
所)で死刑執行。享年33。

(出典 島秋人『遺愛集』)
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