IN 苦のいろ

○賜ものの一日を我は生くるゆえ
   苦は苦のいろに輝くならん 

(出典 歌人 雨宮雅子)
【キーワード】 苦 賜りもの 一日 輝き

【参考】(『ウィキペディア(Wikipedia)』
雨宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 2014年10月25日[1])は、日本の歌人。

東京市麹町区永田町生まれ[2]。番町小学校、東京家政学院高等女学校を経て、昭和女子大学に入学。大学在学中、川上小夜子に師事。1949年、川上にともなわれ、「女人短歌」の創刊に参加。1950年、「林間」の創刊に参加するが、1961年ころから作歌を中断。
 1970年、作歌を再開し、「林間」に復帰。1972年、夫である竹田善四郎とともに「鴟尾」を創刊し、22号まで発行する。同年、香川進に師事し、短歌結社「地中海」に参加した。現在は短歌結社誌「雅歌」の発行人をつとめている。
 キリスト教の洗礼を受け、50年に亘って日本基督教団に所属したクリスチャンであったことが、短歌創作に大きく反映されてきた。その作風の要点は、清らかな視点にて自己の内面を見つめながら、キリスト教の神と対話することにあると評されてきた[3]。さらに、病弱であった自身が抱く「死の意識」と、神への信仰への下に、自らの姿勢を問い続ける形で、作歌活動を営んできたが[4]、2012年に至り、棄教したことを告白した[5]。
 フランソワ・モーリアック研究家としても知られる。高祖父は明治の鉄道王、日本製粉創業者・雨宮敬次郎。息子は写真家の森雅美。姉は華道家の池田佳甫(佳子)。