IN 行きゆきて

行(ゆき)ゆきてたふれ伏(ふす)とも萩の原
                   曾良

4年間のシベリア抑留中、思い浮かんだのが
曽良の句。本願を信じ念仏を申せば、どこで
倒れて死のうとも、今ただちに還っていくこと
になる。ここが浄土への入口、浄土の門。今
現に浄土の門に入口に立たせていただいて
いる。そう思うた途端にシャンとした。

(出典 西元宗助より引用 『人間成就』94)
【キーワード】 只今 浄土門 死の覚悟 念仏

<参考>
奥の細道
─道祖神の旅─10
         ゆきゆき亭 こやん

第六章、出会い、そして別れ
1、曾良との別れ

曾良は腹を病(やみ)て、伊勢の国長嶋(なが
しま)と云(いふ)所にゆかりあれば、先立(さき
だち)て行(ゆく)に、

 行(ゆき)ゆきてたふれ伏(ふす)とも萩の原
                        曾良

と書置(かきおき)たり。行(ゆく)ものの悲しみ、
残(のこる)もののうらみ、隻鳧(せきふ)のわ
かれて雲にまよふがごとし。予も又、

 今日(けふ)よりや書付(かきつけ)消さん笠
(かさ)の露

 曾良の句は倒置法によるもので、句意は
「萩の原を行きゆきてたふれ伏すとも」である。
たふれ伏すとも何なのか、このままでは分かり
にくいが、この句と芭蕉の句は『芭蕉翁略伝』
(幻窓湖中著、弘化二年刊)に次の様な形で
収められてい、原案と思われる。

 「同行なりける曾良、道より心地煩わしくなり
て、我より先に伊勢の国へ行くとて

 跡あらん倒れ臥すとも花野原

といふ事を書き置き侍るを見て、いと心ぼそか
りければ

 さびしげに書付(かきつけ)消さん笠の露」

これによるなら、花野原で倒れ臥すとも跡
あらん、という意味だったことになる。文字
どおり、同じ道を先に行くわけだから、途中
で倒れても、芭蕉さんあなたが後から来てく
れるでしょう、という意味になる。野原で倒れ
ても、花を踏みわけて通った跡が残っている、
という事に掛けた句だ。そこには、芭蕉への
師としての信頼の気持が込められている。そ
れに対して、芭蕉も残念なことと思いつつ、淋
しい気持で、旅立つ際に笠に書き付けた「同
行二人」の文字を抹消したのである。「今日よ
りや」の句もまた倒置法の句で、句意は「笠
の露で今日よりや書き付けを消さん」となる。
「笠の露」は比喩で、いわば涙でまだ未練の
心を残しつつ、泣く泣く書き付けを消したので
ある。

 なお、「行きゆきて…」の句は『猿蓑』などに
収められている

 いづくにかたふれ臥とも萩の原

の形のものがあり、同様の句は、『鳥の道』
『乞食嚢』『続雪まろげ』などにも見られる。
この「いづくにか]の上五は西行法師の

 いづくにか眠り眠りて仆れ伏さんと
    おもふ悲しき道芝の露

を踏まえたもので、そのイメージから「行き
ゆきて」の句は通常、行きゆきて倒れ伏す
ともせめてそこは萩の原であってほしい、
と解されている。しかし、西行の歌はあくま
でも道で倒れ伏すのは嫌だなあ、とい悲し
みを込めた歌で、死の覚悟を詠んでいるわ
けではないし、曾良にしても病気を治すた
めに旅立つのである。死ぬためではなく、
生きるために旅立つのである。むしろ私は、
今は孤独な旅でも萩の原であれば誰かが
同じ道を来てくれる、という元気付けの句だ
というふうに取りたい。さらにもう一つ付け
加えるなら、真実を追い求めるものは決して
孤独ではない。その時は世間に認められな
くても真実はやがて誰かが再発見し、自ずと
明らかになる。
 曾良は仏者ではない。曾良は神道家で、死
んで露になることに美を求めていたわけでは
ない。だからこそ、この句は西行から引いてき
た上五「いづくにか」をやめ、『文選(もんぜん)』
の古詩にある、「行き行きて重ねて行き行く」の
「ゆきゆきて」を持ってきたのであろう。
 「行きゆきて」の形の句が『奥の細道』にしか
ないところから、この句を芭蕉の改作とする説が
あるが、おそらく芭蕉なら西行の「いづくにか」の
方を支持したであろう。そこをあえて仏教色のな
い「行きゆきて」に置き換えたところに曾良らしさ
がある。それに、漢詩の文句をそのまま使った体
は『奥の細道』出筆時の芭蕉の「軽み」の風体と
も違うように思える。
 なお「隻鳧(せきふ)のわかれ」(自筆本には「隻
鴨のわかれ」とある)は、蓑笠庵梨一(さりゅうあん
りいち)の『奥細道菅菰抄(おくのほそみちすがこ
もしょう)』によれば「雙鳧のわかれ」の誤りだとい
う。『前漢書』の蘇武別李陵詩に「雙鳧倶北飛、一
鳧独南翔」とあり、それをふまえたものとのこと。南
と北へ離ればなれになる別れの情は、『文選』の古
詩「行き行きて重ねて行き行く」の中でも、「胡馬依
北風、越鳥巣南枝(モンゴルの馬は北風に誘われ、
越の国の鳥は南国の木の枝に巣を掛ける)」という
ふうに出てくる。曾良の「行きゆきて」の上五から
「雙鳧のわかれ」を連想したのだろう。
 この曾良との別れの前日、芭蕉、曾良、北枝のメ
ンバーで三吟歌仙興行(さんぎんかせんこうぎょう)
が行われている。この時の句と、芭蕉の添削指導の
簡単なメモを北枝が書き留めていて、後に『山中三吟
評語(やまなかさんぎんひょうご)』という名前で公刊さ
れている。当時の芭蕉の俳諧連句の手法を知るうえ
で貴重な資料となっている。