IN あの世

① 三人の九二歳がひそひそと
  「あの世は無いよ」と語らう聞こゆ
            (松本市)馬木和彦
② 逝くと言い行くとは言わない世界あり
  有るか無いかは誰も知らない
            (高知県)藤田兆夫
        
(出典 朝日歌壇 三〇年八月一九日)
【キーワード】 死 あの世 有無 不知

☆真の宗教を知らぬ、俗世の歌のように思う。
 下記の【参考】を参照し、よく考えてほしい。

【参考】 
①世界大百科事典 第2版の解説
あのよ【あの世】
 あの世・この世は仏教でいう彼岸・此岸に対応する語であり,その意味であの世は極楽・浄土または地獄をさす。一般にはもっと漠然と死後の世界,この世とは別の場所の意に用いられる。柳田国男によると,日本人の観念には死者が別の遠い国に行くという考えはなく,死者の霊は近くの山にとどまって,祖霊として,農耕の折り目ごとに里に下りてくるという考えが強いという。また隠れ里伝説,鼠浄土譚,竜宮譚などに見られるように口承文芸の中には,山の向こう側,海中,地の底に別世界のユートピアがあるという考えがある。

龍谷大学 人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センター
第7期研究展示
「死を超えた願い-黄金の言葉-
-見ずや君 明日は散りなむ花だにも 命の限り ひと時を咲く-」
【黄金の言葉-先人の心に学ぶ- その12】
信楽峻麿 『この道をゆく』

父を見送る心
父が残した言葉

              信楽峻麿
 つい先日、父が死んでゆきました。九十五歳という長寿をめぐまれて、ローソクの焔が燃えつきるように、ほんとうに静かに息たえてゆきました。かねてより覚悟していた父との別れではありましたが、やはりいまの私にとっては、心の中に大きな穴があいたようで、深い寂寞を覚えずにはおれません。あらためて親というものの存在観を思うことであります。
 その父が、危篤状態に陥ったとき(それからまたしばらく生きながらえたのですが)のことです。いつも地元の福原医院の若先生に往診していただいていたわけですが、そこの老医院長先生は、父と小学校時代の級友で、長い交流を続けて今日に至っておりました。そこで父が危篤ということを知られたこの老先生は、自分も九十歳過ぎの老体をおして、看護婦さんをたよりに、わざわざと私の家にまでお見舞、往診してくださいました。その時、この先生は、ひととおりの診察のあと、聴診器をはずしながら、父に顔を近づけて、
「ご老院、あと、もうしばらくですぞ。私もあとから参りますからな」
と声をかけてくださった。父は分かったのでしょう。ものは言えないままに、軽くうなずきながら、両手を合わせて感謝の意をあらわしました。私はこの光景にふれて福原老先生の人柄を思うたことであります。世間には名医といわれる人は多いでしょうが、このように臨死の患者に向って、死期の真近かさを告げ、自分もまた、と語りうる医師がどれほどあるでしょうか。医師とは、身の病を治し、心の病いを看とることを務めとするものであるとすれば、この老先生のような方こそ、まことの名医というべきではないでしょうか。私は、こういう医師に看とられて死んでいった、父の仕合わせを思わずにはおれません。
父は、私たち家族のものにあてた遺言状を書いておりました。まだ元気だったころに認めたものと思われますが、仏壇の引き出しの中におさめてありました。そこには、人間の世界に生まれえたことの不思議さと、家族としての出あいの宿縁を深く思えということ、そして念仏を大切に生きよ、浄土で待っている、という教誡の言葉が書かれておりました。
私には兄がおりましたが、四十数年まえに、若い生命のまま病没しました。この兄もまた死の直前に、「またあおう」といい残してゆきました。父も兄も、私に向って再会を約して死んだのです。いまの私には、父の「浄土で待っている」という遺言と、兄の「またあおう」という別れの言葉は、ともに重い意味をもった言葉として、くりかえして私の胸奥にひびいてまいります。
現代の人々の中には、このような父や兄の言葉、そしてそれをめぐる私の思いについて、そんな死後の話などとうてい認められないと、一笑に附す人も少なくないと思われます。しかしながら、私はこの父の遺言と兄の別れの言葉を、末とおる真実の言葉として、すなおに受けとめ、その言葉の如くに、父や兄らとの再会を楽しみつつ、これからの人生を生きてゆきたいと念じております。

未来が見えてくる叡知
 そこで私はこう思います。人間がもつところの知恵には、科学的な叡知と宗教的な叡知があるということです。その科学的な叡知とは、広狭浅深さまざまな相違はあるとしても、現代人の誰もが身につけているところの知恵であって、人類はこのような叡知にもとづいて、多くの文明を築きあげ、今日のような歴史や社会を進展せしめてきたわけです。
 そしてもうひとつの宗教的な叡知とは、いまは仏教における叡知について、ことには親鸞聖人の教えによって申しますと、念仏を申す日々の世界を通してひらけてくるところの、この世を越えた出世なる「信心の智慧」を意味します。人間はこの信心の智慧においてこそ、はじめて真実に出あい、人間に生まれたことの尊さを思うようになります。そしてこの信心の智慧によれば、いままでの世俗の知恵では見えなかったものが、新しく見えてくる、知られてくるようになってきます。いま父がその遺言において「浄土で待っている」と申し、兄が「またあおう」といい残した言葉の意味する世界は、たんなる世俗の次元のことがらではありません。それはひとえに、このような、出世なる信心の智慧によって、たしかに見ひらかれた世界についていったものにほかなりません。
今日における科学的な叡知によれば、古い過去の歴史について、さまざまに測定し、細かに解明することができますし、また未来についても、対象によっては的確に予知できるようになってきました。たとえば、何十年か先きの日蝕が生じる時間は、一秒の狂いもなく正確に計算されますし、テレビの天気予報も、ほとんど間違いなく明日の空模様を知らせてくれます。
それと同じように、宗教的な叡知としての信心の智慧によるならば、また私自身の過去と未来について、明確に知見することができます。親鸞聖人が、自己の現実相を深くみつめて、その過去における無始以来の罪の宿業を痛み、また仏の大悲摂取を念じて、その未来における往生成仏を喜ばれたのは、いずれも、このような信心の智慧にもとづいて見通された世界でありました。もとより、ここでいう科学的な叡知によって見られ、知られるということと、宗教的な叡知としての信心の智慧にもとづいて知られてくるということは、同じ知られるといっても、まったく次元を異にするものであります。両者は決して混同されてはなりません。しかしながら、それらの叡知によれば、ともに過去が知られてき、未来が見えてくる、分かってくるわけであります。

仏の生命をたまわる
 親鸞聖人が教えられた本願念仏の道とは、このような宗教的な叡知としての、「信心の智慧」を身にうることにほかなりません。そしてこの信心の智慧をうるものは、またその必然として、この世間を越えた、まことなる仏の生命をたまわって生きてゆくことができるようになります。親鸞聖人が、信心の智慧をうるものは、「如来の家に生まれる」(行文類)と明かされ、またその信心を釈すについて、
「本願を信受するは前念に命終するなり。即得往生は後念に即生することなり」 (愚禿鈔)
といい、信心とは、生まれたままのこの世俗の生命に死して、新しく仏の生命にたまわって生きてゆくことであると語られるゆえんであります。
私はものの生命には、およそ三種の生命があるといいうるように思います。その第一の生命とは、もっとも素朴な生命のことで、微生物に宿っているような生命、さまざまな植物に見られるような生命のことです。人間についていえば細胞の生命です。人間の身体は総計五十兆くらいの細胞によって成りたっているといわれます。その細胞のひとつひとつに生命があるわけで、それはつねに休むことなく次々と分裂して、古い細胞は死んでゆき、新しい細胞が生まれてきます。何か月かのあいだには、細胞の全部が入れかわってしまうのだそうです。そしてそのような細胞は、たとえ人間が死んでも生きているわけです。土葬した死体を何日めかにだして見たら、口ひげや爪がのびていたといわれることがありますが、これはその死体の細胞がまだ生きていたことを物語るものであります。最近やかましくいわれるようになった、心臓や腎臓の移植ということも、このように、人間は死んでも細胞は生きているということから、それを取りだして他人の身体に移植しようというのです。生命というものを問題にするときには、先ずこのような、もっとも素朴な生命というものが考えられてきます。
 そして第二の生命とは、人間ひとりひとりの個体を成りたたしめているような、人格としての生命をいいます。そのような生命は、たんに人間のみではなく、犬や猫などのすべての動物にもひろげて考えることができましょう。第一の生命体としての細胞がたくさん集まって、ひとつの個体、人格や犬格、猫格が形成されている、そういう個体における生命です。このような生命は、第二の生命といわれるべきものでありましょう。この第二の生命は、第一の生命に支えられ、その新陳代謝によって成りたち、相続されてゆくわけであります。ふつう私たちが生命といっているものは、このような個体としての、第二の生命を申しているわけであります。
 しかしながら、私はいまひとつ、そのような第一の生命、第二の生命に対して、第三の生命というもの、さきほど申した宗教的な叡知によって見いだされるところの、宗教的な生命とも言うべき生命を思うのです。それはひとえに、念仏において、信心を開くことにおいて、仏からたまわるところの「仏の生命」であります。それはもはや、この世の生命ではありません。この世の生命は、いずれも限りある生命であり、迷えるものとして地獄ゆきの生命でありますが、この仏の生命とは、無量寿として、信心の開発において、「如来の家に生まれる」ことにより、また「後念に即生する」ことによって、仏よりたまわるところの永遠の生命であります。肉体は滅びても死ぬことのない生命です。ある先達が、花びらは散っても花は散らない世界がある、と語られましたが、まさにそういう永遠に散ることのない花そのものの純粋生命をいうわけです。浄土真宗において、浄土に往生すると語るのは、このような仏の生命をたまわって、新しい生命に生まれ、真実の生命を生きてゆくことを意味するものにほかなりません。
私の父が「浄土で待っている」と遺言し、兄が「またあおう」といい残した言葉は、まさしくそういう第三の生命、仏の生命をたまわって生きる世界の中で語られたものでありましょう。私はいまあらためて、父や兄が残した言葉を通して、そういうもうひとつの真実の生命、永遠の生命というものを深く思念し、そういう生命をたまわって生きることの喜びをおぼえることです。(昭和62年8月)
(信楽峻麿 『この道をゆく』 127-138頁 永田文昌堂)

➂ 当HP 譬喩2「いのちと風船」参照
④ 当HP 韻文102 「一休道歌」最後2首
⑤ 当HP 随想24「往生論より成仏論」