HY 闇という文字



だれが、どんな依りどころで、闇をいう文字を書きはじめたのであろう。
 なんにも見えないのがヤミであり、光のきえ失せたのがヤミである。
 それならそれで、門構えの中に、光とか目とか日とか、ほかにも工夫のあった筈を、音にしたのは、一体どうしたわけなのか。そういえば、クライも暗で、ここにも音がそえてある。
 音は聞こえる世界である。きこえる世界を、見える世界の文字にあてはめたについては、それだけの理由がなくては叶うまい。
 さて、あなたは、なんにも見えない世界と、何にも聞こえない世界のうち、どちらに、ほんとうのヤミの実感を味わうだろうか。
 よし見えない世界にいても、なにかが聞こえてくる間は、孤独と絶望から救われよう。だが一切音の絶えた世界、無音の恐怖は救うすべがない。無音の世界は、隔絶であり死である。
 私たちは、時折、静寂をねがい、隔絶もまたよしと考える。だが、それは再び聞き得る自己を予想しての、いわば甘えた願望に他ならない。孤独も他を意識した上でのことである。人間の悲しい宿命の一つともいえる。
 この文字の作者は、ぎりぎりの死に直面して、光を音に代え、そのつきつめた恐怖を表現したのであろう。闇の字には、人間の本然がうちふるえて見える。
 まことに私たちにとって大切なことばは見ることより聞くことなのである。
 仏を信ずる者にとって一番つらいことは、もはや仏の声が聞こえなくなったことであり、親の不幸は子の声が聞こえず、子の淋しさは親の声が全然聞こえぬことである。たとえ顔を合わせていようとも、真心が聞こえねば夫婦とは言えまい。
 中川静村

(出典 『和尚の硯箱』448号
     大阪 阿倍野区 蓮光寺 森正隆)
【キーワード】闇 無音 恐怖 仏の声  


《参考》
◎『漢和中辞典』
「闇」 形声。 音が音を表わし、おおう意の語原(掩えん)からきている。門をと
    じる意。暗に通じ、くらい意に用いられている。
「暗」 形声。音(いん)が音を表わし、かくれる意の隠(いん)からきている。日が
    かくれてくらい意。

☆語学的解釈とは別に、味わいとして、標記の「闇という字」は趣きがある。
  「えん」という発音だけだったら、「音」でなく「員」でも「炎」でもよかったはずなのに「音」   を選んでいる点、また「暗」にも「音」が入っている点は、原文のような意味も十分うかが える。(藤枝宏壽)

【参考】

「音」が閉じ込められた状態を「闇」という。
聞く耳をふさいだとき、闇が生まれる。
 だから、仏は「南無阿弥陀仏」という声と
なって、わが闇を破ってくださるのである。

        
(出典 渡辺悌爾 某書)
【キーワード】 聞法 聞名 迷い 迷妄