HY 疑いがない

自分の父(母)に向かって「私はあなたが父(母)であること
を疑いません」などということはない。「疑わない」のではなく、
「疑いがない」のである。それは、父母が今日まで産み育て、
慈しんでくれたという事実が身に沁みているからである。
 お念仏が出てくださる、阿弥陀様がこの口から出てくださる、
この救いの事実があるから、
疑おうにも、疑えないのである。
 「疑蓋無雑」とはこのこころである。

(宏壽味読)救われ難いこの身(機)にかけられたご本願(法)
の忝さよと、感泣したものには、仏恩が身に沁みている。「煩
悩具足と信知」
させてくださった「本願」の事実、これは疑えない。疑うのは頭、
知解の段階。身にいただいた、体解したときには、疑いの境
地は通り越している。ご恩うれしやの報謝の思いのみの境地
なのである。

(出典 葛野洋明 H19西照寺婦人会にて)
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