HY 海の八徳・十相

「唯説弥陀本願海」は【現代語訳】(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』)に「ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。」とあります。
 『尊号真像銘文』には「「唯説弥陀本願海」と申すは、諸仏の世に出でたまふ本懐は、ひとへに弥陀の願海一乗のみのりを説かんとなり。」(註釈版671頁)と釈しています。すなわち、「唯説」とは、すべての仏の出世の本意は、弥陀の本願の救いを説くことにあるというわけです。
 「本願海」とは、仏願の深広にして涯底なきことを海に喩えました。『大経』「往覲偈」には「如来の智慧海は、深広にして涯底なし。二乗の測るところにあらず。ただ仏のみ独りあきらかに了りたまへり。」(註釈版47頁)とあり、善導の『往生礼讃』には「弥陀の智願海は、深広にして涯底なし。」(七祖篇671頁)とあります。『論註』には「「海」とは、仏の一切種智は深広にして崖りなく、二乗雑善の中・下の死尸を宿さざることをいひて、これを海のごとしと喩ふ。」(七祖篇84頁)とあります。
 月筌は「海」を、『涅槃経』(国訳大蔵経第9巻342頁)に依る海の八徳を挙げて、「一に漸々転た深し、二に深にして底を得難し、三に同一鹹味、四に潮限りを過さず、五に種々寶蔵あり、六に大身の衆生も居る所、七に死骸を宿さず(不宿死骸・池田注)、八に一切の萬流大雨之に投じて増さず減ぜずと」(『勦説』11頁)と釈し、隨慧は「海ノ十相ヲ説ク。一ニ漸次ニ深シ。二ニ死骸ヲ受ケズ。三ニ餘ノ水ハ本ノ名ヲ失ス。四ニ一味。五ニ多寶。六ニ極メテ廣ク入リ難シ。七ニ広大ニシテ無量。八ニ大身ノ衆生多シ。九ニ潮、時ヲ失セズ。十ニ能ク一切ノ大雨ヲ受ク。北本涅槃三十二(三十一號)海ノ八徳ヲ説ク。彼ノ十相ノ中。餘水失本名ト、及ヒ廣大無量トノ義ヲカク。餘ハ皆同シ。」(『説約』351頁)と釈しています。なお、恵然は「死骸」に「凡死骸は神を脱した、之尸なり。今、凡情を転じて彼の死尸を捨てる」(『會鈔』274頁)と注しています。

(出典 正信偈講読[164] : 慈願寺 池田行信)
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