HY 無知と無智

蓮如上人の御文章に
①「末代無智の在家止住の男女たらんともがら
  は・・・」(五帖の一)
とある。それに愚生若いころ大変反撥を感じた。
今時の我々は、五百年昔の蓮如のころとは違う。
みな字も読めれば、計算もできる。高校進学率
90パーセント以上だ。それを「無智」とは何事だ! と。
 ところがあるとき気づいた。
②「一文不知の尼入道なりといふとも後世をし
  るを智者とすといへり」(五帖の二)
 おや、ここでは「不知」となっている。文字
一つも「知らない」という意味だ。そのような者でも
「後世をしる」を「智者=智慧ある人」
というのだ。「知」と「智」が使い分けてある。
 そう見ていくと、①では「無知」ではなく、「無智」
となっていたではないか。呼びかけられているのは
「仏法の智慧」もなく、世間の知識だけに振り回され
ている「無智」の者という意味だった、と気づいて、
大いに慚愧したことである。
 さすがは蓮如さんだ。的確に「知」(知識)と
「智」(智慧)とを使い分けておられたのだ。(しかも、
「後世をしる」というときは、「しる」であって、漢字を
避けてある用心深さ!)
 それを、早とちりして混同していたわが身が
実に恥ずかしくなった…それこそ「無知」であり
「無智」の私であったと。

(聞法ノート。 蓮如の御文)
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