HY 池に鯉

ある御門徒の家に法事にいくと、床の間に池に鯉の掛け軸が懸かっている。
 老主人「いいでしょう」
 若院 「(は?) いい絵ですね」
数年後、老主人が亡くなり、その法事に息子さんがその鯉の掛け軸を出して来て
 息子 「なぜ法事にいいのですか?」
 若院 「お父さんが愛好されたから・・・」
後日、相当勉強した若院、同家の法事の法話で
 若院 「二尊の遣喚でした。弥陀は『来い』(鯉)、釈迦は『行け』(池)です」
 息子 「あぁ、それで分かりました」

(出典 片江哲海 『大乗』24年5月号)
【キーワード】二尊 遣喚 

参考
  〝一人の旅人が、西に向かっていくと、突然前方に火(瞋恚(しんに))の河と水(貪欲(とんよく))の河が現われ進めそうにない。戻ろうとすると盗賊や猛獣・毒蛇が襲いかかってくる。回(かえ)るも死、止(とど)まるも死、去(ゆ)くも死。絶体絶命と観念したとき、ひょっと二河の間に細い白道(念仏道)が見つかり、行こうとするが、水波・火焔に覆われている。躊躇していると「この道を尋ねて行け。死の難はない。もしとどまらば死せん」と東岸の声(釈尊)、また西岸から「なんじ一心に正念にして直ちに来たれ。我よくなんじを護らん」という声(阿弥陀仏)が響く。その声に励まされて前進する旅人の背後から盗賊等が「引き返せ。行けば死ぬだけだ」と誘惑するが、旅人はひたすら白道を進み、遂に西岸(浄土)に到達した。〟
(二河譬喩 取意 『いのちの感動 正信偈』
藤枝宏壽著 永田文昌堂、118頁)