HY 母

 おふくろさん
                                       森 正隆
 この母という字を眺めていますと、これぞ正しく古きよき日本を育ててくれた懐しい母の面影……-。
 この母という字を眺めていますと、これぞ正しく「おふくろさん」で、お母さんでもなけれは、ママてなもんやありませんナ。


 この母という字を眺めていますと、井戸端でしゃがんで、洗濯板で僕のシャツやパンツをごしごし洗うていてくれた母の後姿を見る思いがして来ます。
 この母という字を眺めていますと、毎朝、家中の誰よりも早う起きて、朝ごはんの支度をしていてくれた母の横顔、トントンと包丁で何かをきざんでいる音が聞こえて来ます。
 この母という字を眺めていますと、鰹節をかいて、遠足のお弁当をつくっていてくれる、台所の朝のひとときのひびきが伝わって来ます。
 この母という字を眺めていますと、縁先で背中をかがめて、僕の靴下のつくろいをしてくれている母の背が光ります。
 この母という字を眺めていますと、「偉うなんかならんでもええ、他人さんに喜んで貰えるような人になるんやでェ……」と、時々いうていた母の声が聞えて来ます。
 この母という字を眺めていますと、報われることなんか何一つのうても、愚痴をこぼすでなく、しみじみとほのぼのと生き抜いて来た、日本の「おふくろさん」の面影が、ほの見えてくるような気がします。
 この母という字を眺めていますと、長い間忘れていたいろんな音がよみがえり、風景が漂い、声がみなぎってくるのです。懐かしゅぅて、うれしゅうて、ほのぼのとして、しみじみとして、わくわくして、なんか知らん目頭がうるんで来るようです。
 こんな「おふくろさん」を見かけないようになった途端、世の中がギスギスし始め、人々の心からうるおいがないようになり、カラカラ干からんで来たんやないんでしょうか。
 このお軸をお書きになった山崎了昭師には、まだお目にかかったことはありません。聞くところにょりますと、束京の真言宗の名刹慈眼寺というお寺の和尚さんやそうです。この和尚さんのおふくろさんも、きっとこの字そっくりのお方やなかったんやろうか、いや、きっとこういう感じの.お方に違いなかったんやでエ…‥と、一人合点しながらワクワクしてるんです。
 遥かに遠い昔の思い出が、一瞬、凝結して見る見るうちに出来上がった僅か五画一文字、何十枚か何百枚の果てに、ひょいと顔を出した…そういう風に感じられてならんのです。

(『和尚の硯箱』447号(H22・6・1) 
  筆者 森 正隆)
【キーワード】  おふくろ 献身 慈愛 智慧 忍従